[コメント] 許されざる者(1992/米)
主人公には重いバックボーンがある。しかし可視化されていないのでそれがすんなりと入ってこず、「量」に比重を置いた台詞によって描き出される。
人物の描写に限らず、ある出来事のきっかけと結果のみを台詞で説明し、事件そのものを撮らないスタイルも散見する。
つまり肝は台詞であり、まるでラジオドラマのようなシナリオなのだ。しかしこの作品、肝心の翻訳に違和感を感じる。簡潔なわりに意図がはっきりわかるというものでもなく、それでいて行間の感じられないものだった。翻訳者は心理描写のかけらもないようなC級、B級映画を主に翻訳しているようだが、本当にこの人物を起用して良かったのだろうか?
よって既に述べた内容はあくまで「日本語字幕版 許されざる者」へのコメントだ。
翻訳に関係していない箇所ならば、この作品に登場する人物全般に感じたことを述べる。人物の描写にあまりにも「職業病」が感じられないのだ。例外を言えば、命の危険が迫っている状態にもかかわらず興味深い対象を「取材してしまう」物書きはまさに「生きる」存在を描いていた。これを見たことでほかの人物と比べ浮いた印象が残り、私の中で世界観の統一性が崩れてしまった。
そして特別重要な事件へと流れるきっかけは「事を起こす人物が粗暴だから」という「ミリオンダラーベイビー」と共通するものであり、こういった点が私には納得がいかない。
端的に言えば私にイーストウッドワールドを体感することは不可能なので、抽象概念の宿らぬ死んだ文章しか書くことが出来ない。ファンの方々にはただ一作品にのみ物申した事をお許し願いたい。むろん、今後彼の作品を通して何かを感じることに成功した際はこの限りではなく、そうなることを願っている。
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