[コメント] デッドマン・ウォーキング(1995/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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キリストは自分を密告したり殺した人々を許している。なぜなら彼らが 集団リンチを止められない弱い心しか持たない存在でありこうした人々を救うためにこそ この新しい教義がある、と弟子達に言っていたからだ。
「自分は罪を犯しました、自分の弱さのせいで」
こう言う事で彼らは自分の弱さを知り一段上の精神を持つようになり神に「許される」のだ。シスターは子供の頃 生き物を殴り殺す経験をしている。子供時代というのはとかくいけない遊びを誰かが始めてもそれを止める勇気を 持たないものだ。彼女はその時「みんなやめよう!」と言えなかっただけでなくその小さな犯罪に加担した 事を未だに後悔している。
つまりシスターがこだわったのは「俺は犯人ではない」と嘘を付いている彼が心の底から自分の弱さと罪を認めた場合「許されなければいけない」はずだ、と言いたいのだ。
ところが死刑賛成派は「自分はキリスト教信者だ」と言いながらこのキリスト教の一番の「売り」である部分を忘れているのだ。 賛成派に対していささか批判的な描写が描かれているのは彼らが本当に信者であるなら教義に反しているから。 こういった観点で見るとこの映画でシスターが言っている事は 「みんな自分はキリスト教信者だって言ってるけど本当?」という反対派でも賛成派でもない単なる教義に対する人々への疑問なのだ、多分。
ところで自分も含め大抵の日本人はこういった教義的な問題とはなにも関係がない。なので、シスターの行動が 善人ぶった人道主義者に見えたとしても致し方ないところだ。しかし、これがアメリカ本国で同じ様な叩かれ方や 感動のされ方をしていたらまさに末期症状だ。大統領演説などで頻繁に使われる「神のご加護を」ってやめた方が良い。 なぜなら例えばイラク戦争に見られるように悪い奴(フセイン大統領ね)をなんとかして殺すのではなく悪いことをした人間に 「自分は悪いことをしました、すみません」と言わせ解放させるのがキリスト教のはずだからだ(例え相手が異教徒でも)。 ま、ティム・ロビンスやスーザン・サランドンが実際今回の戦争にどういった行動や発言をしているのか 興味があるところだがおそらくハリウッドでは浮いた存在ではないのだろうか?
話が脱線するが・・・キリストが自分を裁いた人達を許したのは実は他の意図があったと思う。敵対していた者でも 「許して下さい」と言えば簡単に改宗出来るその間口の広さ、自分を裁いた人々は愚かであるからこそ--と位置づける事で 自分が彼らより上層の存在である、と言わずして人々に思わせるテクニック。現代でも多くの人と違う意見を言う人には 大抵この傾向が見られる。何と言っても当時はユダヤ教に比べ圧倒的にカルト集団だったわけだししょうがないんだけど。
しかしユダヤ人がこの手に引っかかって延々迫害される事になるとは予想しなかった、とか言うのだろうかキリストは? そこらへんの本音(告解)が聞きたいところである。
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