[コメント] デッドマン・ウォーキング(1995/米)
決して答えの出ない問題です。
この映画は非常にニュートラルな映画だと思う。もしも被害者や遺族にちょっとでも重点をおくと被害者側の映画になってしまう。被害者や遺族のことなどくどくど言わなくてもどれだけ悲しいかは解るものだと思う。加害者に重点をおいたからこそニュートラルになったんだと思う。人は人である。改心しても処刑人も人である。最後に流す涙は結局自分のためです。そんなことは解ってることではあるが涙が遺族にとってどういう意味をもつか・・・・・・喜ぶか?一安心するのか?ますます憎くなるのか?それとも後悔するのか?後悔すればそれは美談です。でも経験ないから解りませんがそんな人は少ないのでは?結局そんなよく出来た人は少ない世の中死刑しようがすまいが悲しむ人の数は変わらないのでは? う〜ん、酔っ払ってるからなのか初めての長文なのからか何言いたいのかわかんない。 読みにくくてすいません。でも監督も含めてこの問題は解らないんだと思う。 もし答えが解ったらなんだか悲しい人間になりそう・・・。
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