[コメント] デッドマン・ウォーキング(1995/米)
必ず作品を観て、Reviewを読むよう。私の言いたい事は全てそこにあるので。
ふれこみでは「死刑制度の是非ではなく、加害者と被害者の心情をあくまで客観的に描いた秀作」だとか。いいや違う。これははっきり死刑制度反対映画である。そして、かけがえのない者を奪われた者の気持ちを逆撫でする偽善映画である。あるシスターが婦女暴行殺人を犯した死刑囚の話し相手になる話なのだが、本来重きを置かれるべき被害者や遺族の気持ちよりも、何故男がレイプと惨殺におよんだのかばかりに力を入れて描いており、不平等である。その上、加害者も辛く悲しい思いをしたと言い出し、加害者擁護にまで発展する始末。貧乏で不幸だから人を殺しても仕方がないというのか。そんなことでは社会は犯罪天国である。私がもっとも許せないのは、死刑執行直前に流した男の涙が、殺した女性への償いではなく、家族との別れのためだったということだ。その上、シスターは男が安らかに眠れるようにとさめざめ涙を流しながら神に祈る。本当に訳の分からない映画である。何に対して泣くのか。死刑を受けた男が可哀想だから泣くのか。それでは殺された女性の人生をあまりにも軽視しすぎてはいないか。この映画はふれこみとは裏腹に加害者に重きを置いたが、例え両者を平等に描いたとしても、やはり不快感が残る。何故なら、本当に可哀想なのは被害者とその遺族なのであって、軽軽しく加害者と被害者とを対等には描けないはずだからだ。それでも対等に描きたいというのなら、一切の主観を切り捨てたドキュメンタリー映画として完成させてほしかった。単にいい人を演じたいがために撮ったとしか思えず、「シンドラーのリスト」と同類の違和感を感じざるを得ない。
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