[コメント] 地獄の黙示録(1979/米)
「源流」と「支流」。「終わらないその後」の「黙示録」。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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ウィラードは善悪美醜の境界の欺瞞が暴かれた「支流」を遡上し、人間の「源流」という善悪美醜の境界が相対化された混沌の深奥に至り、そして再び「支流」を下って「帰郷」したはずだが、その「帰郷」とはどんなものであったのか。
おそらく、最も正しく、同時に最も異常な超越者となった彼と、彼を迎える「支流」たる世界の「その後」を想像する時に、「現代の黙示録」の意味が立ち上がるのではないだろうか。
彼を肯定するにしろ、否定するにしろ、人間は境界の混乱の中に常に放り出される。業炎に包まれ、終わりを迎えたかに見える「源流」はしかし、後継者を得て受け継がれていく。そもそも、「源流」がなければ私達が安穏と錯覚しながら身を置いている「支流」そのものがあり得ないのだ。
ド・ラン河の混乱した電飾の「美しさ」をはじめとして、コッポラは「境界」を破壊して原初的な暴力衝動をむき出しにする。否定肯定すら否定された、厭悪すべきでも魅力を否定できない、絶望の世界である。
そして、これらの全ての言葉もまた間違っているのではないか、という究極の絶望感。
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