[コメント] ジョーズ(1975/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
スピルバーグはこの映画で数々の画期的な要素を映画に取り入れた。仮にこれを「怪獣パニック映画」に限定して見ても、その画期的要素は際だっている。 そしてこの作品を画期的ならしめているのは、私はそれを「視線」にこそあると思っている。
この映画が作られるまで、怪獣パニック映画は作られていたが、それらの大部分の敵は巨大な生物だった。当然それに対峙する人間は怪獣を見上げる形を取る。これが普通だったわけだ。
一方、本作品のキャラクターの視点を見ると、終始下を向いていることが分かる。「巨大な生物を見下げる」!。ある意味今視点は矛盾だったのだが、それが本当に見事だった。
考えてみると、誰しも「怖い」と思う体験は下を向いている時に多い。蛇に飛び退いたり、犬に追いかけられたりする体験というのは抜きがたい恐ろしい記憶になるし、高所恐怖というのも、下を見るがために、つまり下を向いているからこそ、怖い。
逆に見上げて怖い。と言うのはさほど日常では多くない。雹が降るとか、建物が崩れるとか、崖崩れが起きるとか…
この二つの視線を対比してみると、見上げるタイプの恐怖というのは、天災に関わり、多数の人間の恐怖を共有することになる。つまりパニック映画となるのだが(『ゴジラ』が天災を意味するとはこういう訳だ)、見下げるタイプの恐怖というのは、更に個人的な、限定的なものになる。
そのどちらも違った形の恐怖があるわけだが、それまで見下げるタイプの恐怖映画は作られていなかった。見下げるよりは見上げる方が迫力があったからだと思うが、何より見下げる形でパニック映画が撮られるとは思っても見なかったのではないだろうか?
そう言う意味でこの映画、実に画期的だったわけだ。見下げる形でしっかりパニック映画が出来る。それどころか、この視線にこそ、根元的な恐怖が潜んでいたのだ。故に以降、このことに気付いた映画人達はこぞってこの「下を向いて」のパニック映画を量産することになる…
更にもう一つ。カメラ・ワークが面白い。特にこの作品、下からあおる形でキャラクターの表情を映し取っている。キャラクターが下を向いているから当然これがカメラにとっては「正面」になるのだが、これが奇妙な効果を生んだ。恐慌に陥ったキャラクタが画面に向かって「落ちて」来る!
なかんづくこの作品は「怪獣パニック映画というのは怪獣ではなく、人間を観る方が怖い」ことを教えてくれたわけだ。以降、良質のホラー映画や怪獣映画はこの視点が上手く撮られるようになった。
こういう作品にはあっという間に自己同化が起こってしまう私は、ビデオでさえ酔いかけた。もし初見が劇場だったら、マジ吐いてたかもしれない。
ところでストーリーの方に目を向けてみると、基本を押さえた作り(って言うより、この作品こそが「基本」になってるわけだけど)であるが、なんと言っても鬼気迫る演技を魅せたロバート=ショウだろう。『白鯨』のエイハブ船長を思わせる彼の役回りは、物語に異様な説得力と、そして本当のパニックとは何であるかを教えているようだ。
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