[コメント] 男はつらいよ 寅次郎の縁談(1993/日)
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寅が首にマフラーを巻いて登場。後に、マフラーをしてないシーンでは、渥美の首筋の衰えが甚だしく、なぜマフラーなんぞしていたのかが分かる。だが、動きとしては、前2作ほどと比べて、渥美の動きが軽快だったと思う。わりと体調が良かったのか。やはり本シリーズは渥美清の映画なのだと実感。全体の雰囲気が全然軽快なのだ。
満男(吉岡秀隆)の人格が相変わらず破綻しており、駄目人間ぶりに拍車がかかっている。就職活動がうまくいかないといって、突然親に当たり散らす。「大学なんて行きたくなかった」とかって、学費を出してもらい、生活もさせてもらって、何を今さらとも思うが、むしろ、働くことの尊さみたいなものが満男にはまったく分からないのか。父の博や母の桜、おいちゃんおばちゃんたちが汗水垂らして働くのを間近に見てきたはずなのに。満男をここまで駄目人間に描く、物語上の有意義が分からない。
アヤちゃん(城山美佳子)なる看護師との恋話でもそう。セーターを受け取り、キスまで交わすので、満男にもアヤを慕う気持ちがあったのだと思いながら見る。と、突然島を逃げ出してしまう。なるほど彼女の気持ちを受け止めるまでの思いはなかったのか。と、帰りの連絡船の上で、「やっぱこの島に残ればよかった」だと。なんなんだこいつ。まあ、大学も卒業してない、就職先も決まらないので、自分に自信がないという設定なのは分かる。だが、キャラクターが首尾一貫してないのは駄目だろう。なんと言うか、アヤちゃんとのうまくいかない恋の結末を律儀に映画の中で描かなくともよいと思う。うまく行きそうな感じに終わり、次作でそれに触れることなく話が展開して、まったく問題なかろう。今までもそうしてきたのだ。前作まで4回も続いた泉との恋話なんざ、まったくなかったことになっている。
寅と松坂慶子との恋話も適当すぎる。ここのところ、マドンナが一方的に寅に惚れ、その想いを受け止め切れない寅が逃げるというパターンが続く。本作でも松坂が一方的に寅に惚れるが、今回は、松坂がこれも一方的に、寅への想いを自ら終息させたようにみえた。その理由が、満男という“青二才”から寅の想いを聞かされてしまったから、というだけであるようなのが、さっぱり訳が分からない。
75/100(19/8/31見)
※前作で、御前様(笠智衆)が急速に老いさらばえていた。その後、笠は実際に亡くなったわけだが、本作では娘・冬子(光本幸子)まで出してきて、御前様は生きているということにしたようだ。本シリーズのムゴたらしさを象徴する設定。
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