[コメント] 汚れた顔の天使(1938/米)
臆病の受容というキリスト教の認識の深淵を巡るノアールの自己批評作
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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電気椅子を前にしての神父の「臆病者として死んでくれ」の提言は驚きがある。「臆病」はチンピラギャングのカリスマを崩壊させるのだ。臆病を受け入れるとはまさにキリスト教なのだろう。この願い出をギャグニーは受け入れたのか、それとも単に恐怖心から絶叫したのか。確認しようのない「新聞に書かれたことが全て」が残った。この謎かけもキリスト教に似ていると思う。
ギャグにいいものが多い。パット・オブライエンの「15年前のお返し」とギャグニーを殴る再会がいい。バスケの試合もいい。チンピラが反則するたびに審判のギャグニーが同じ反則でお返しをするのだ。不良ギャグは自家中毒を起こしたかのようにシリアスになり、賭けに勝って「お袋の一週間分の稼ぎだぜ」は切なくさせるものがある。
本作は神父だからカソリック。アメリカの信者はプロテスタントが多数なのに、ハリウッド映画はカソリックを扱うことが多い。デッド・エンド・キッズは『デッド・エンド』出演の不良役で結成されている。アパートの窓がどれもシーツ干している冒頭の街中の撮影がすごい。あれはセットなんだろうか。
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