[コメント] スター・トレック(1979/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「スタートレック」として作られた映画だけど、恥ずかしながら僕はドラマを見ておらず、そのためにそういう文脈のものとしてこの作品を見ることは出来ない。
であるにもかかわらず、僕個人の文脈によってこの映画は永遠の名作になっている。
他人様から見れば(それこそトレッキーの皆様から見れば)言語道断な不遜な見方かもしれないけれど…でもいいじゃない。一人くらいこういう愛し方をする人間が居ても。
そのくらい大切なものなんだから。
子供のころの僕は、図鑑を読んで、そこに載っている解説や絵を見て、いろいろ妄想するのが大好きだった。
魚の図鑑を見て多種多様な生命を抱く広大な海を妄想し、飛行機の図鑑を見て虚空を引き裂き飛び交うその雄姿にあこがれた。その中には当然のように宇宙に関する図鑑もあって、まだ誰も足を踏み入れたことのない星や、宇宙という不思議な空間そのものを夢想し、そこにロマンを感じていた。そしてまた、そんな空間に実際に飛び込んでいく人工衛星や探査機も大好きだった。
あるとき、NHKの特番か何かで、宇宙探査機についてのドキュメンタリーをしていた。
ちょうどボイジャー探査機の特集だったと思う。どういう風な軌道を描いて、どういう風な任務を帯びていくのか。そういうことが事細かに解説されていた。
ひどくショックだったのが、この探査機が片道運行だったこと。地球からはるか遠く離れたところまで行き、誰も見たことのない未知の惑星の写真を撮り、電波に乗せてそれを母星へ送り届け、そしてその後は、そのまま太陽系の重力を離れて永遠に遠くに飛び続ける。
なんて孤独な任務だろう、と酷く寂しい気分になった。
彼らはもう、地球に帰ることなどありえないのだ。
創造主たる人間によって与えられた任務を帯びて、ひたすら一人旅をしなくてはならないのだ。
作り手側の「人間」として、申し訳なさなんかも感じたりしたかもしれない。
当然、それは子供のころにあったいちエピソードに過ぎない。だから成長して、日々の忙しさやら何やらにかまけるうちに、そんなことはすっかり記憶の奥底に追いやられてしまった。
だから、僕がこの映画を見て、「ビジャー」の正体を知ったときには酷くうろたえた。次に嬉しくて堪らなくなった。二度と会えないと思っていた昔の友達に会ったような懐かしさを感じた。でもって忘れていた自分を恥ずかしく思い、もう一回申し訳なさを感じたりもした。
彼は生きていたのだ!
今でも与えられた任務に忠実に、ひたむきに、旅を続けていたのだ! 作り手側たる人間が、探査機を打ち上げたことも、そもそもその名前すら忘れていたというのに! 機械であるが故の愚直さで!
何だこのシンクロ率。
もちろんこれは「スタートレック」。虚構であって現実ではない。
でも、僕にとって子供のころに、ボイジャー探査機に対して感じていた寂しさ、申し訳なさは本物だ。
そのことを思い出させてくれた。それだけをとってみても僕にとってこの映画は掛け替えのない作品なのだ。
「今までよくがんばってくれたね」「忘れていてごめんな」「僕らのことを覚えてくれてありがとうな」そんなことをすら言いたくなった。
そしてラストもまた憎い。「創造主との合体」を果たした彼は、また本来身に帯びていた任務に忠実に、探査を続ける。
そう、彼はまだ「現役」なのだ。壊れていない。死んでいない。
彼は機械だ。壊れていないなら、本来の機能を果たすのが彼にとっての本望なのだ。
あくまで任務に忠実にある、その気高さよ!
ありがとう、ワイズ監督。いい夢見させてもらいました。
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ちなみに。
「現実」のボイジャー1号2号も、まだ稼動中なのだそうだ。特に1号は、地球から見て最も遠くにある人工物となって、太陽との相対速度秒速17.132kmで飛行中だそうだ。(Wikipedia情報)
居るかどうかも定かでない誰かと会うために、彼らは今も宇宙を飛び続けている。
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