[コメント] パーフェクト・ワールド(1993/米)
イーストウッドだからと持ち上げると、却って失礼なくらい弛緩した映画だと思う。全ては御大の八方美人と逃げに起因。ローラ・ダーンを起用しながらこの有様なのも気に入らない。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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コスナーと子役の交歓の叙情を、終わりを予感させつつ高めるなら、追う者の非情さが足りない。決定的に足りない。
そういったものがここでは求められていないのはわからないでもない。言ってみれば不完全な善悪混交の関係を許容しながら、何となく許しあっている世界が「パーフェクトワールド」なのではないか。ダラダラとおかしなトレーラーでコスナーを追う気があるのかないのかなイーストウッドの違和感はこれで説明できなくもない。しかし、それは理想郷に過ぎず、存在し得ない。悲劇の予感を伴いながら喜劇を描き、それに葛藤すべきなのだが、その哀しみが描けているとは思えない。過去に因縁があるらしき御大とコスナーの間柄で、どうも自分では手を下したくない旨が見え隠れするのだが、その葛藤が他の捜査関係者との軋轢を生む描写もなく、漫然と手をこまねいているうちに、「何も出来なかった」と嘆じることになる。そこに無常があったかというと、ない。彼は本当に何もしていない。ベテラン然として、重要な局面に至れば逃避的に軽口をたたき、セクハラ・パワハラのFBI野郎を凹ましただけだ(このシークエンスだけやたらと輪郭がはっきりしていて苦笑させられる)。抗わないで、何の無常だろうか。彼がブレるせいで、対立軸になるコスナーの好演が活きないのだ。
これは誰のための映画なのだろうか。何もかも読み取れるような気がしたが、何も迫って来なかった。
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