[コメント] 太陽を盗んだ男(1979/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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『青春の殺人者』に続く長谷川和彦監督第2作。本作でキレぶりと、演出とテンポの良さ、設定の際だたせ方など絶賛された。将来の邦画を背負って立つ監督だったはずだが、本作を最後に監督業から身を引いてしまった。残念な話である。
つい先日私は『タクシードライバー』(1976)のレビューを行ったが、あれは“一歩踏み出した人間”が上手い具合に行った場合の例だと思うのだが、その“一歩”が勘違いしてしまうとこうなってしまう事の例がここには描かれている。実際よく考えると、この二人の動機って結構同じように感じてしまう。どちらも今の世界にもやもやとしたものを感じており、そして自分が行動を起こすことで、この世の“何か”を変えようとする。そして二人とも動機が明確ではない。“何かをしなければならない”と考えてはいるが、“どうすればいいか”という所までには至らず、結果的に行動の方が先に出ている。これが1970年代の鬱屈感というものと言ってしまえばそれまでだが、実際に今この瞬間完全なる自由と力を与えられた時、人間はどんな反応を示すだろう?多分ここでの城戸と似たようなものがあるんじゃ無かろうか?
しかし同時に羨ましくもある。どう使って良いか分からないが、とにかく力を手に入れようとするパワーは本物だし、少なくとも鬱屈をPCやTVの画面に封じることなく、行動で出そうと思ったその時代に。そしてそれを正義と信じて行動できる行動力に。PCを前にこれを書いている私自身が、まるで骨を抜かれて昔を回顧しているだけの人間に思えてくる…そしてそれは多分事実だ。
本作は決して完成度が高い映画じゃない。ストーリーは破綻しているし設定は無茶苦茶(あんな方法で原爆を取り返すなんて思いもつかないが、同時にギャグにも思えてしまう)。後半に至ると物語も何もなくほぼ完全な暴走状態で、ラストのオチは唖然。職人芸からはほど遠い、ほとんど情熱だけで作り上げたような作品にしか思えない。だがその情熱こそが時代を超えて「羨ましい」と思わせるものになるのだ。
実際、このレビューを書いている今、「こんな下らない世の中が続くのならば、この地上から人間を消し去ってやりたい」という微かな衝動は確かに私の中にあるのだ。 そして少なくとも自分の心の中に、この衝動がある内はまだ大丈夫。と思える自分もいる。
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