[コメント] サンダカン八番娼館 望郷(1974/日)
私のおじいさんは、シベリアに抑留された元日本兵である。 おじいさんが、シベリアでのエピソードを以前語ってくれたことが あり、それがあまりに面白いので(ネタかよ、と思った)、ここに 記してみる。これも、裏歴史の一つと考えて下さい。
おじいさんは、第二次世界大戦中、シベリアで旧ソ連の捕虜となった。 おじいさんは、絵を描くのが、周りの人間よりも上手かったので、 建物の壁や塀にプロバガンダの絵を描く任務を請け負ったらしい。 ある日、おじいさんの元に、女医であり軍人であるソ連女が訪れ、 「私の部屋に飾る、絵を描いて欲しい」と頼んだそうだ。 しかも条件は、「椰子の木の下に、ライオンがいる絵」という注文のもの。 おじいさんは、注文を受け、一人になった時、考えた。 「俺は、今まで椰子の木も、ライオンも見たことないぞ」と。
やがて数週間経った。女医(兼軍人)は、絵は完成したかとせっつい てくる。おじいさんは「もう少し待ってくれ」と懇願する。 見たこともない物なんて描けやしない。でも、自分は捕虜の身、 描けなかったら、何をされるかわかったモンじゃないと、 おじいさんは焦った。 そして1ヶ月が経ち、おじいさんは、苦肉の策として、椰子の木と ライオンの抽象画(カンディンスキーのようなモンだったのだろうか?)を 差し出したらしい。女医は、マジマジとその絵を眺め、一言。
「ハラショー!(素晴らしい!)」
いやぁ、ネタみたいな話ですね。たぶん、戦争体験を辛気臭いモノにしない ように配慮し、数少ない楽しかった思い出を披瀝してくれたのかも しれません。事実、シベリアの捕虜時代は、毎日が空腹で、 畑にじゃがいもを盗みに行ったらしいですが、もしソ連兵に見つかったら、射殺されたらしいです。つまり、いつも死と隣り合わせだったようです。
私が、シベリアで捕虜になったら、マルクス主義を叩きこまれ、 普通アカになると思うんだけど、と疑問を投げかけてみますと、 もちろん、マルクス主義の講議があり、それにかぶれた人間もいるとの ことでした。(そういう人達は、敗戦後日本に帰ってきて、その足で 代々木の共産党に入党したらしいです)でも、おじいさんは、この思想は、 なんだか上手いハナシすぎると思い、マルクス主義に、心から傾倒できなかったと言ってました。共産主義になったインテリ仲間は、周りをアジり、 戦争が終わり、日本に帰る船の中で、おじいさんを村八分にしたらしいです。マルクス主義は偉大な思想なのに、何故、コミュニストになろうと しないのだ、と。
おじいさんは、当時を振り返り「船の中で、誰も口をきいてくれなかったなぁ。とっても淋しかったけど、漫画みたい(な展開?)だと思ったよ」と、一人大笑いしてました。この人は強靱な精神の持ち主で、人格者で、 だからこそ周りから慕われているのだな、と私が尊敬したのは言うまでも ありません。
今、日本は長寿国家と言われています。80才以上のお年寄りは、 戦争体験者です。もし、傍にそんな方がいたら、一度、戦争のハナシを (年寄りは、ある程度偏狭な価値観でもありますが)、 聞くのも良いかもしれません。なにしろ、私たちが、生きている間、 たぶん経験しない事でしょうから、裏歴史を知る良い機会かも しれません。
※カンディンスキー;1866年モスクワ生まれ。最初の、そして最も 影響力の強い抽象画家の一人。
※自分の立場を補足しますと、私は右でも左でもありません。 主義に振り回されることなく、良いと思った考えを取り入れるしか ない時代だと思っているので。
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