[コメント] 砂の器(1974/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ええと、個人的なことでなんなんですが、20代に結核にかかったことがあります。10年以上前のことです。
診断を受けたときは「ええっ!今の時代に結核?」などと思いました。でも今は薬で完治する病気、と説明を受け、3ヶ月ほど入院し治療することにしました。
その病院は、昔の結核用の療養所がほそぼそと生き延びている感じのところでした。そしてそこには、何人かの年配の患者さんがいました。若い患者が数ヶ月の入院で帰っていくのに、ずいぶん長期間そこにいるようでした。若いときに罹患して治ったのだが年をとってから再発した、という患者さんもいましたが、その人たちとも違う人たちでした。効果的な治療法がないときに結核を進行させ、ある人は手術で肺のほとんどをとり、ある人は決定的なダメージを受け、そしてずっとその病院に住んでいる人たちでした。(「住んでいる」という表現しかできません。)
一見したところ普通の人たちでした。日中はパジャマなどでない普通の服を着て過ごし、時々は外出し、買い物などもしていました。世代は違っても、話をしても楽しい人も何人もいました。
そのなかで同室の60代の女性と仲良くなりました。テレビで相撲を楽しみ、午後には病院の庭を散歩し、松ぼっくりを拾って小さなおもちゃを作るような人でした。新聞も読み、ニュースについて意見を交わしたりもしました。家族がいないということは、話のはしばしでわかりました。
でもくわしい話は聞けませんでした。厳密には何年(何十年?)ここにいるのか。時々は退院することもあるのか。ずっとここにいるのか。どんな青春を送ったのか。しようと思ってできなかったことは何なのか。
みんなが知っている、あの、らい予防法にまつわる件が報道されたのは、私があの病院を退院してからのことでした。
そのとき私は、あの病院にいる人の顔を思い出しました。
もちろん、らい(あえて、らいと書かせてください)と結核は違う病気ですし、扱われ方もずいぶん違っていました。らいの患者さんと違って、あの病院の患者さんたちは、法律によって病院を出て行けないわけではありませんでした。
でも病気で奪われた人生を思いました。果たせなかったであろうたくさんのことを思いました。
この映画の後半で、悲しいのは差別ではありません。主人公の少年をいじめた子供たちを石を持って追いかける父親の姿。雨の中なにかにくるまって顔をよせる父子の笑顔。その、失われてしまった愛情が悲しいのです。
映画の中で、年とった父親が生きていたことに、たぶん私は驚かなかったと思います。私のいたあの病院に、あの、年とった人たちがまだまだいるように。それぞれの人生をかかえて、いるように。
(映画の感想ではありません。失礼しました。)
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