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[コメント] わが道(1974/日)

邦画に貧乏噺は多いが生活保護や行旅病人を追いかける映画は珍しい。新藤が撮りたかったのは貧困と制度の関係なんだろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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本作はオリジナル脚本なのだ。大井警察署、港区役所に慈恵医大病院と名指しするのだから全て取材でウラが取れているのだろう。そして国民救援会という組織が称揚される。 本作の主題は行旅死亡人。市役所が懇ろに弔うのが常識である(たとえば杉並区では高円寺の西方寺の無名墓に埋葬されることになっている)。医大生の研修は大切であるが、断りもなしに徐々に切り刻まれる遺体の提供とは、遺体遺骨を大切にする日本人の一般的心情と対立するだろう。この対立に明快な着地点があろうはずもない。棺桶から覗いた殿山泰司のボロボロの顔に覚える驚愕の背景は複雑なものだ。

裁判での役人たちの云い逃れのグダグダが映画の記録したい処なのだろう。それは情けなくも喜劇的に達成されている。裁判記録に沿ったがゆえにインパクトがない処もあるが事実密着の必要との兼ね合いで仕方あるまい。区役所の。カウンターと上司の席を縦構図で何度も何度も往復する役人がベストショット。この若い役人を裁判で役所を辞めたと紹介される。彼は矜持を守ったというべきだろう。生活保護についても、大泉滉の「受給するには離婚して」なる教唆が事実だとすれば恥ずかしい話である。

冒頭に羅列される東北の貧乏噺は新藤としても『裸の十九歳』の継続があっただろう。今の外国人労働者の扱いもこんなものなんだろうと恐ろしく思う。軽石芋が何度も映される。最もエグいのは江沢萌子の母子売春。劇中、出稼ぎ者は120万と紹介されている。しもた屋のライト消したラーメン屋の隅で座っている乙羽信子のファーストカットに箆棒な求心力があった。彼女の最後の台詞「お父ちゃんは私のものだ」は新藤らしい。

(評価:★4)

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