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[コメント] 祭りの準備(1975/日)

つくづく共同体というのは暗黙の了解、閉塞と醜への忍従の共犯関係だな、と些かうんざりする。脱出願望の根拠たる「青春」という名の自意識もかえって人を責め苛む。そして共犯と隠蔽の象徴としての「祭り」。「うんざりする」のは、依然としてそれが当を得て普遍化しているからで、遂にこれが今『松ヶ根』を経て『ヒーローショー』に至るのか、と考えると心底滅入るが、横溢する黒い笑いは正直好き。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







清純ぶった竹下景子とスケベゴコロ丸出しのマルキストなど、とにかく何もかも嫌なのだが、とりわけ粘着質な主人公の母やトシちゃんの母のニコニコ顔の不道徳が嫌でたまらず、嫌で嫌でたまらない一方、黒木和雄の挑戦的な画作りが好感度大で目が離せない。童貞妄想の切り取り方が意外なほど面白い。裕次郎映画の(タイトルは分かりませんが)「ジャックナイフ」という小道具のクローズアップに暴力への期待をまとわせ、これに見入る江藤潤の顔面アップが穴が開いたように真っ暗なあたりなどの小技に痺れる。鳥かごの鳥。焼肉のアップのグロテスクに動揺。情けない絶叫と 無様な疾走の描写の的確は言うまでもない(人が走る姿をきちんと撮れているか、というのは映画のレベルを測る尺度になると思う)。

演出姿勢はブラックコメディへの志向性が強いように感じる。特にタマミちゃんが妊娠・出産して正気を取り戻したあたりからブラックな笑いの強度が否応にも増す。この「正気を取り戻す」という筋が実に面白くて、その事象自体大いに笑えるけれども、「狂っていて鈍感でなければシステムの中では生きていけない」という裏返し的な詠嘆としても作用していて秀逸。愛人のあっせんのシークエンスなども虫酸が走る一方で「面白い」という感情を抑えられない。祖父の首つりからタテオの悲鳴→台風→ムラ修復の流れも素晴らしく、カタストロフへの期待を一瞬で葬る共同体のゾンビ的しぶとさにため息が出る。

「青春」なんて言葉が存在せず暗黙の了解に埋没してしまえばこんな環境は苦にもならないはずなのだが。つくづく「青春」って諸刃の剣だと思う。トシちゃんが呟く「(埋没して生きてる限りは)このムラはいいムラがぞ」。ああ、いやだいやだ。

脱出がかなわない原田芳雄がタテオに託す思いが哀しい。多くの人間は脱出できず埋没するか、脱出しても狂った頭を抱えて戻ってきたタマエのように出戻ってしまうか、新たな牢獄で埋没するかだ。タテオ、本当に「その後」大丈夫だったのか。

そして今、限られた成功者の栄華をメディアは喧伝し、「キャラ志向」が一億総タレント化を強い、過剰に肥大化した自意識と才能の不在のギャップ が、「若人」を責め苛む。『ヒーローショー』への布石。

ああ。めんどくせ。

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●更に『スター・ウォーズ』EP4の脱出に寄せるヤってやるぜ式の幻想にのっとった脳天気に思い至ると、「青春」なんて言葉は腐って害毒になるくらいならいっそ捨てっちまえよ、と思う。でも毒にならない限りは必要なことなんだよな。「青春」の難儀。ああ。めんどくせ。

●父の新妾宅の、子どもの習字と思しき半紙の言葉。さりげなく隅っこに置かれていて明確にフォーカスされないが、「出発」とある。これは笑える。

●グラント・リー・バッファローさんのご指摘の通り、『松ヶ根乱射事件』がまるきり本作の筋にのっとっているので驚きました。こちらとは結論のベクトルが違うようですが。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] 水那岐[*]

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