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[コメント] 遠い一本の道(1977/日)

国労がもうアカンと白旗上げた映画ではないか。革命党と民衆の矛盾を多く描いたと云われる宮本研らしいホンなのだろう、労働者の技術の終焉と労組の行き詰まりを具体的に描いて史的価値がある。前衛的な手法も全てツボにハマった傑作。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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中盤、国労への違和感がナレーションで語られる。国労にいれば出世もできない、賃金も増えない、生活を守れない労働組合とは何なんだろう、と。「家族会は労働組合とは違うんですからね」などという嫌味も飛び出す。そして物語は、第二組合(民社党系ね)に移らせてくれとヤサグレる足切断した前田昌明井川比佐志が黙って申込書類を手渡すに至る。

枕木交換の労働歌があったのだと驚かされる線路補修の件を前振りに、映画はこれが機械化される過程を克明に描く。機械化による合理化の時代であり『モダン・タイムス』の具現化、『キューポラのある街』の延長だった。現場の技術者、井川の職場での居場所は奪い去られる。山田洋次の『故郷』に類似するが、あそこにはあった造船会社への転職の希望などここにはない。

新幹線で南下(『家族』の逆ルートだ)するというイロニーの末辿り着く終盤の軍艦島は極めて印象的。それは井川の心情風景そのものだろう(石炭は鉱物じゃない、木の香りがするんだという長塚京三の科白が記憶に残る)。井川が勤続30年の記念メダルを海に放り投げるラストは、直接には国鉄への異議申し立てであるが、間接的には明らかに国労の自虐である。もう彼を救う力など国労にはない。重苦しい収束だった。タイトルは辿り着けない詠嘆だろうか。

労働運動を描く映画はラストに希望を謳うのがお定まりだった訳だが本作は正反対。謳うべき希望など何も見いだせていない。これを正直に告白している、としか受け止めようがないのである。国労はなんでこんな自己否定の映画を製作したのだろうという疑問が残るのだが、ともあれ本作は堰き止めようのなかった構造的な合理化を記録して余りにも生々しい。それは労働者の尊重というあったかも知れない可能性が消えて行く過程の記録だ。国労的な中間団体が潰え、合理化が完成しかかった現代(いまにコンビニも自動精算になるらしいが)から振り返れば、あのときどうにかならなかったものかと思わざるを得ない。

箇所箇所でドキュメンタリーを挿入する作劇にはゴダールの換骨奪胎があり、これが本作最大の美点。舌足らずな告発物語よりも数倍優れている。左幸子がにわか保険外交に失敗してベソかいて帰る客車のなか、隣席で学者と思しき老人が取材記者に語る。技能を持った人に高収入が渡らない社会は間違っている、大学卒が高収入なのは技能ではなくて身分なのだ。全くその通りだと思うし、これをダイレクトに伝える手法自体に瞠目させられる。

撮影もとても優れており、廃れ行く機関車の描写が見処なのだが、よくある詩情満喫の絵葉書系ではなくシビアに振れているのが好ましいし、これらと日常描写に落差がないのが素晴らしい。カット割は排され、まるで線路を撮るかのようなローアングルが多用される。貧乏社宅のまだ電灯が灯されていない茶の間に、明るい台所から子供が食器を何度も往復して届ける。窓の外には貨物列車が走る。この長回しの美しいこと。

「縁切れた」と茶碗が割られる雪中の土俗的な結婚式から初めて、社宅の外で薪を割り、井戸水を天秤棒で担ぐ左の地味な造形は、ひとつの時代を記録して最良のリアリズムがあった。すえっ放しのキャメラの前で弟とはしゃぎ続ける若き市毛良枝の陽気さも忘れ難い。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)jollyjoker ぽんしゅう[*]

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