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[コメント] 怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967/日)

誰も褒める人がいないから、私一人くらいはミニラを持ち上げてみよう。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 怪獣映画を作る際、一つの問題がある。怪獣はあまりに巨大すぎるのだ。構造上怪獣映画は人間ドラマを入れることになるが、怪獣の巨大さに対して、人間はあまりにも小さい。どうしてもそこに断絶が生じる。

 第1作目の『ゴジラ』は確かに素晴らしい作品だったが、その巨大さが後のシリーズに与えた課題は大きかった。あまりに素晴らしすぎたがため生じた負の要素は確かにあったのだ。

 故にこそ、その体格差をどう埋めて怪獣と人間のドラマを作るか。そこが怪獣映画の宿命となった。これにはいくつかの手が用いられた。例えばゴジラシリーズからは離れるが『キングコングの逆襲』(あれ?同年だ)のように怪獣のスケールを小さくする方法や、『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』のように怪獣の中にすっぽり人間を入れてしまう方法(ここではもう一つ、怪獣を閉鎖空間に閉じこめると言う方法も使われた)。最も単純には、人間が巨大ロボットの中に入ってゴジラと戦う方法。人間が怪獣を復活させる過程を丹念に描くなどなど、本当に様々な方法が用いられた…

 本作は福田純監督による2作目のゴジラ映画だが、前作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』であまりに無茶苦茶やってしまった事を反省してか、一つの画期的要素を投入する。

 他でもないミニラの存在がそれ。ファンの多くにはすこぶる評判が悪いミニラだが、実はこの怪獣は人間と怪獣の橋渡しとして、これほどうってつけの存在はなかった。本作においてそれが顕著だったのはサエコ(前田美波里)がミニラに食べ物を渡すシーン。人間と怪獣が同スケールで交流できる!これがどれほど重要だったか、よく考えていただきたい。そう。ミニラはゴジラと対比することもできるし、人間とも交流できるという、怪獣と人間とをつなぐ重要な要素を持ち込んだ希有な存在だったのだ(二年後の『ゴジラ ミニラ ガバラ オール怪獣大進撃』ではより顕著にそれが表されていた)。

 そりゃ確かに作品自体は怪獣プロレスにさえなってない作品だったし、親としての使命に目覚めたゴジラなんて見たくもなかったが、それでも尚、この時点まででこれほど人間と怪獣のリンクが出来た作品はなかった。ミニラの重要さはもう少し評価して然るべきだと私は思っている。

 それともう一つ。本作で評価したいのは、表題を『ゴジラ対クモンガ』にしなかったことかな?「エビの次はクモかよ!」という極めつけの悪評は避けられたし、少なくともこども達はゴジラに親近感を持ったことだろう(以降のシリーズは子供をターゲットにしてるので、これは重要な点だ)。

 形と言い、存在感と言い、殆ど怪獣ファンの口にも上らないようなクモンガだが、二体の怪獣に対し、これほど健闘したのだ(事実人間側の努力無しだったら勝ってた)。これももう少し評価すべきじゃないかな?

(評価:★4)

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