[コメント] ゴジラVSモスラ(1992/日)
『VSキングギドラ』の後で大きな不安を抱きつつも、“新ゴジラがついに俺の地元に!”と思って独り盛り上がったというのに、良くなっているかもしれないという淡い期待はもろくも崩れ去った。
話がとにかく中途半端だ。このご時勢にゴジラとモスラが対決するなんてリアリズムも何もあったものではないのだが、演出が垢抜けない。
せせこましい世相との和解交渉の中で成り立つはずのない話を成り立たせるために大森一樹が持ち出したのは、環境破壊へのアンチテーゼ=バトラの安易な起用と、ゴジラに手を汚させた問題のなし崩しだった。
『VSビオランテ』にはあった陰影さえ失われた、きらびやかなミニチュア。きぐるみがきぐるみにしか見えない特撮が見せるバトル・ロワイヤルの噴煙で現実がかすむはずもなく、稀代の看板役者の額には子供だましの烙印だけが残った。にもかかわらず記録した過去最高収益が、平成ガメラへの追い風になったとは皮肉な話だ。
よろしい。どうすれば良かったのか、教えましょう。
あの小美人ならぬ、コスモス――二人だけでは、なんとも侘しい。そう、モスラに原住民は必須なのだ。かつてのように、黒塗りの日本人を使ってでも出すべきなのだ。放送コードがなんだ。
ストーリーは、こうだ。まず米軍が横須賀に持ち込んだ核がゴジラに襲われる。対処に困った日本政府は、いんちき冒険家(別所哲也)に金をつかませてモスラの情報を得るや、早速インファント島に親善大使(大竹まこと)を派遣。ところが何故か日本語を話せる彼らは叫ぶ。
「モスラの力かせん。先進国はいっつも、我々をいじめているではないか!」
すると、大竹は言う。
「ちっくしょう、聞き分けがないってのは、文明人だけじゃないんだな!」
逆切れした大竹大使はコスモスを拉致、気球から彼女達をぶら下げて日本へ。眼下には、普段は青いつぶらな目ん玉を真っ赤に染めて憤慨したオー、いやモスラが猛烈な勢いでついてくる。後ろから、原住民達も泣きじゃくりながら手漕ぎカヌーでついてくる。そして、いよいよ向き合うするゴジラとモスラ。しかし容赦ないガチンコ・バトルの末、モスラは壮絶なる最後を迎える。呆然とする人々。モスラを失った原住民たちは、我々に対してこう叫ぶ。
「お前たち文明人こそ、破・壊・者(ゴ・ジ・ラ)だ!」
だが、そんな打ちひしがれる原住民達を、容赦ないゴジラは火炎放射一閃、根絶やしにしてしまう。そのとき、瀕死のモスラに変化が――原住民達の怒りと無念が込められた幼虫は、なんとバトラに。怒りのバトラは壮絶なパワーで横浜もろともゴジラを撃退。これを静観していた第七艦隊も、仰天して撤退を決める。それに気づいたバトラは尻尾を巻く元凶どもを追い、“ニューカーク・シティー”に向け飛び立っていったのであった〜!(終)
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