[コメント] バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2(1989/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
(注:『バック・トゥ・ザ・フューチャー』1作目のネタバレを含みます)
私はこのシリーズが大好きだ。特に1作目は初めて観てから20年以上経った今でもマイベスト映画として5本の指に入るくらい本当に大好きだ。この2作目も、公開を心待ちにしてワクワクしながら観に行った。今作は「観ていてちょっと疲れるな」という印象を持ちつつも、この作品も含めてシリーズ全話をとても楽しんだ。
だが最近になって再見してみて、どうも腑に落ちない点に気付いた。
1作目の話にも及んでくるが、タイムトラベルしたマーティに対してドクはくどいほど「未来を変えてはいけない、過去に関わってはいけない」と繰り返し言っていた。実際、マーティが55年の両親らに関わったためにラストの85年の未来は変わってしまった。上司ビフの元でうだつの上がらないサラリーマンだった父は有名小説家になり、アル中だった母は美しくキビキビとした中年女性となり、夜勤アルバイターだった兄は会社員になっている。そして、マーティは憧れだったトヨタの四駆を手に入れている。
これらの未来は「未来は変えられえる、成せば成る」として肯定されている未来の姿なんだよな。
一方、今作パート2の軸になっているお話。老ビフが55年の若き自分にスポーツ年鑑を託したために、85年はまるで違う未来が出来上がっている。ビフはギャンブルで大富豪になっていて、ジョージは死に、ロレーンはビフと結婚させられて、マーティはスイスの学校に放り込まれた、という未来。「これは違う!」とマーティとドクはこの未来を変えるために再度55年に戻ってやり直すのだが……。
「マーティにとって都合の良い85年は許せて、都合の悪い85年は許せないから戻しに行く」という描写はどうだろう?もちろん父ジョージが殺されるのを防ぐという目的なのは理解出来るが、それだったらビフにとって悪い未来である85年(1作目ラスト)は放置?ちょっと視点が一方的過ぎないかな。
逆にこの作品、ビフが主人公だったらどうなっていたか。長年のワックスがけの仕事で腰の曲がった老人ビフが、何十年も前に見たデロリアンと遭遇する。どうやらそれはタイムマシンで、今の自分はマーティ達に変えられた人生を生きているようだ。彼はスポーツ年鑑を拾った(ここで私が声を大にして言いたいのは、あくまでビフは“拾った”のであり、決して“奪い”はしていない!)。こっそりデロリアンを拝借して若き自分に渡す。そして財を成し、昔から好きだったロレインを妻にして……。これぞビフ版「成せば成る」。うーん、まあ確かに面白くはないけれど……。
マーティとドクが55年に戻って本当にしなければならなかったのは、パーティや落雷があった夜よりも数日前、ジョージとロレインの本来の出会いを邪魔しないこと、ジョージの身代わりで車にはねられるマーティを止めること。そしてマーティは一切誰にも関わらないようにさせる。そうして元々の、最初の85年に戻すことじゃないかと思う。「成せば成る」を本当に実行するには、未来の力も誰の力も借りずに、ジョージもビフもマーティも自らが未来を変えていくしかないのではないだろうか。
……って、そういうツッコミをするような映画ではないけどな。いろんな面でよく出来ていると思うし細かいギャグまで面白かったし、何よりとっても楽しんだ。なので文句を言いつつ4点。
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