[コメント] Love Letter(1995/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
これ、あまりに理想的にまとめられているから、それにあまりに甘いストーリーだから批判するひとも多いんだろうけど、でも岩井俊二は間違いなく確信犯なのだし、あとはみる方は何が表現されているか考えればいいと思う。
たぶん「記憶」がテーマでしょう。物語の最後に一冊の書物が開かれるのですが、それがプルーストの「失われた時を求めて」だった(ややできすぎの気もするが)。この映画では一通の手紙から甦る過去の記憶がテーマです。渡辺博子と藤井樹という二人の女性の記憶が一人の山で死んだ男性をめぐって交錯します。それは、無理に思い出された過去でなく、生きている今自体が意味をもち、未来の性質を帯びていくような過去の記憶なのだ、とおもう。
圧巻は恋人が死んだ山に渡辺博子が出かけ、そこで山に「お元気ですか」と呼びかけるシーン。一見二人の主人公の状況に何のつながりもないようだが、つながりをもたせることで映画は深さ、強さをまします。
渡辺博子の呼びかけは、恋人だけでなくて、自分自身への呼びかけでもある。また見ず知らずの生きている藤井樹との、彼(死んだ藤井樹)の記憶の共有が、示唆されているでしょう。
記憶と現実の交錯のなかで、死んだ人物の過去の想いが甦る最後の場面は最後の高まりをみせます。過去の彼女と過去の彼の生が他ならぬ現在において交錯しているのがわかります。
この映画での記憶の扱いは、記憶のもつ意味へのスタンスの違いから、様々な評価ができるでしょう。このイデアリスティックな記憶のありかたに反撥もあるかも知れない。たしかに甘い。でもおもうのはこれもあきらかに過去のあり方だということです。過去からストーリーをみつけだすことで、人生には意味がうまれる。その意味こそ重要ではないのか、とおもうのです。
(追記)久しぶりに見直すと、設定上の不自然さは感じられなくもないな、とおもった。ただ映像表現への情熱には感服した。 岩井の作品をみると、「物語」というものの基本をみるきがする。「スワロウテイル」にせよ、「四月物語」にせよ、物語によって生に意味をあたえる映画だとおもう。もちろん、そういったストーリーを逸脱するものを、おいもとめる作家がたくさんいることをみとめた上で、こういう作家の強さも感じてしまう。結局ぼくの場合はそういったとこにこの映画の価値をみるな。繊細な映像は物語を生きたものにするマジックというべきか。 点数は4でもいいけど5。 (すこし手を加えました)
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (7 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。