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[コメント] ムトゥ 踊るマハラジャ(1995/インド)

突っ込みを楽しみながら見るもよし、不覚にのめりこんでもよし。一粒で2度おいしい(懐かしいフレーズ)、ムービーを超えたスーパームービー。
mfjt

この映画、文化論・芸術論的興味がふつふつと沸いてきて、論文を書きたくなるくらいなのだ。

ムーランルージュ』が「椿姫」ならば、こちらは「フィガロの結婚」。個人が顔を持ち始めた19世紀と、ユニバーサルな人文主義の18世紀の違いだ。ここには、あっけらかんとした価値観をシンプルに受容する社会、それに「ほらあんた楽しいだろう、俺も楽しいよ、お互い人間なんだからな」のナイーブなヒューマニズムが残っている。個人が苦悩を始め、「あんた楽しめていいよな」のシニカルな文化へとシフトした、19世紀以降の西洋文明とは一線を画するもの。

翻って、そこにある様式主義(定番、お約束と読み替えても良い)は、日本の伝統文化の真髄と完全に一致。人はそこに水戸黄門を見、吉本を見、都踊りや宝塚のニギニギしさを連想する。パターンに浸りきって、安心して楽しむのが古きよき日本人だ。「野球は巨人、相撲は大鵬。鰹は初物でぃ。」この繰り返しのバリアンスを粋に楽しむのが通と呼ばれる。「おっ、今日の黄門さまは、いつもより印籠の出番が5分早いな」

そのワンパターンは、インド文化の特徴でもある。「今日もカレー、昨日もカレー、明日もあさってもカレーだ、毎日カレーでありがとうお母さん!」

輪廻思想がつなぐ様式主義の世界。日本人が安心して楽しめる枠組みの中に、古今東西の映画のベタな部分(恥ずかしい部分と読み替えても良い)がめっちゃやたらと詰め込まれて、観客の感興をくすぐる。映画館が娯楽の場なのだと言うこと、そしてそれ以上でも以下でもないのだということを強烈にアピールする。

なんて、西洋・理性主義的に書いてみたが、こんなことどーでもい〜じゃん。楽しけりゃそれでい〜のだ。どうせ俺は西洋文明に毒されてるよ。だったら突っ込みいれまくってやるぜ。

このおっさん、吉幾三じゃねーの、おっ、ねーちゃんきれいだけど、腹出てるぜ。なんだなんだこの画面の切り替えは、それにこの踊り、すげー手間かかってるジャン。殴るのにひとつひとつ音入れんなよな。馬車でこける人、痛そ〜。キスしにいったのか、なんちゅう展開。おいおい、途中で映画が変わったぜ、さすがインド、言うことが哲学的〜。やりすぎだろ、アクションも。しかし、馬鹿にならんと楽しめんな、この映画。

などと、突込みを入れつつ、実は3時間たっぷり120%楽しんでしまうのでありました。

うーん、しかし文明論を含めてここまで楽しめてしまうとは。やはりスーパームービーといわざるを得ないな。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)ジャイアント白田[*] KADAGIO m[*] * イライザー7[*]

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