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[コメント] ディープ・インパクト(1998/米)

彼の国の大統領は徹頭徹尾国民の代表であることを確認。
ymtk

 実は,私はこの映画の予告編を観て大感動した。ほんとに久しぶりに,気がついたら涙が頬を伝っていたという経験をした。そのくらい感動した。だから,「本編はもうすごいにちがいない」と思って,意気込んで映画館へ行った。鑑賞開始。

 ・・・面白い。感動する。涙も流れた。でも,なにかが物足りないなあ。映画を観ながら,そう感じた。

 思うに,登場人物がみんな「オトナ」すぎるのだ。地球が滅亡するかもしれない。100万人の中に入れないかもしれない。そんな時,人はあそこまで「オトナ」でいられるのだろうか。もちろん,大パニックが起こり,人間の尊厳をかなぐり捨て,略奪や暴行が横行するなんてシーンを見たいわけではない。そうではなくて,自分としては,愚かな人類ではあるけれども,滅亡を前になんとかやってみようと悪戦苦闘する,その一生懸命さをもっと見たかった気がするのだ。

 それと,この映画では,「スポットライトの当たる役」が多すぎた感じも受けた 。リポーターのジェニー(ティア・レオーニ)の家族をめぐる問題,彗星発見者のリオ(イライジャ・ウッド)とその恋人(リリー・ソビエスキー)との物語,大統領のベック(モーガン・フリーマン)の苦悩。さまざまな見所があった。それぞれ,感動するものであった。でも,それだけに,感動が分散してしまうのだ。一つの物語から受けた感動にじっくり浸る暇もなく,すかさず次の物語に移行してしまう。自分がとろいだけかもしれないのだけれど,ちょっと忙しいなあって感じをうけた。そして,忙しいってこととも関わるのだけれど,一つ一つのテーマが,もしかすると未消化なままに終わってしまったかもなあ,って気もする。

 一つ一つのテーマが未消化なままに終わってしまったということでいえば,「『もののけ姫』」を観たときもそんなふうに思った。

 でも,「もののけ姫」を観たときには,「残念だなあ」とは思ったものの,それほど不満は感じなかった。でも,今回の「ディープインパクト」の最後のシーン,大統領のベックが聴衆に向かって語りかけるシーンには,なんとはなしの不満を感じてしまった。なぜなんだろう。考えてみた。

 思うに,「これから生きていくのだ」という決意が,大統領からのご託宣になってしまっているところが不満なのだ。

上述の「もののけ姫」でも,最後の最後に,これから生きていくのだというつぶやきがあったように記憶している。もしかすると記憶違いかもしれないけれど,「生きるのだ」というメッセージがあったことは確かだと思う。

 「もののけ姫」において,そうした決意は,アシタカにしろ,サンにしろ,エボシ御前にしろ,それぞれが各自の経験を通して,自分自身でつかみ取っていたように思う。他の誰かから与えられた言葉ではなく,ましてや神によって与えられた言葉でもなく,それぞれが自分でつかみ,無理矢理にかもしれないけれど,とにもかくにも自分で自分の腑に落とした言葉だったと思うのである。

 それに対して,「ディープインパクト」において,大統領の演説を聞いている人たちは,自らで自らの言葉をつかみ取っていない。いや,それぞれつかみ取っているのかもしれないけれど,それが描かれることはなく,大統領の言葉によってすべて代表されてしまっている。その点が,自分にとっては,不満だったのだ。大統領のベック自身は,自分の言葉として,演説の言葉をつかみ取ったのかもしれないけれど。そういう意味では,彼の国の大統領というのは,徹頭徹尾国民の代表なんだなあなどと,改めて思わされる映画でもあった。

おわり。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] アルシュ[*]

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