[コメント] うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(1984/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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現実と夢、本音と建前、男と女、ハレとケ。人間が自己を確立していく上で通るであろう様々な事象を、この映画は観客に面白可笑しく叩き付けてきます。誰もが一度は持つであろう存在の不安。自分は確かに自分としてここに存在しているにも関わらず、それを感じられるのが己のみであるが故に、第三者に対してその存在を証明することができない。子どもが初めて社会と対峙するとき、それは初めて「他者に対しての自己」というものを意識するときであり、それが理解できるまでにはそれなりの時間が必要なんです。いや、むしろそれを“理解する”ことなんて不可能で、ただ時間が経つことによって“慣れていく”に過ぎない。
そんな「世界のグラつき」を初めて僕に感じさせてくれたのが今作でした。この映画を観た後、今の現実が誰かの夢であることを否定できる材料を僕は持っていなかったんです。絵空事であるアニメ映画を観に行きながら、それを絵空事と笑って帰ることができなかったんです。映画館から外に出たとき、僕の目に映る景色は鑑賞前のそれとは確かに何かが変わっていました。
またその「非現実」があまりに魅力的で切なかったのも、子供心に大きな印象を残した要因だったように思います。永遠に続く文化祭前日。明日こそが本当のハレの日。祭りは準備の時が一番楽しく、始まってしまえばあとは日常回帰へのカウントダウンに過ぎない。楽しくてすごく切ない一瞬の刹那。そんな高揚感とその中で突き付けられる存在の不安、そんなものが小学生だった僕に驚きを感じさせたのだと思います。特に物語前半、グルグルと繋がる時間軸の中で徐々にその不安が高められていく様は、正に息が詰まるような面白さです。
また押井守的視点が存分に展開されているにも関わらず、あくまで『うる星やつら』のフォーマットから逸脱していないのも素晴らしかった。「友引町」という存在、面倒やさくらの存在、あたるとラムの関係、そんなところをきちんと踏まえた、「うる星やつら」でなくては成り立ち得ない物語になってるんですよね。だからこそ逆に普段の「うる星やつら」との違和感が際立ち、よりメッセージを正確に伝えることができたんだと思います。ラムちゃんを観に行って、確かにラムちゃんを観て帰ってきた。でも何かおかしい。
鑑賞時の年齢が年齢だっただけに、僕の物の考え方に明らかに一つ影響を与えた本作。それが「現実への疑い」、「存在への疑い」、ひいては「既存への疑い」へと繋がったことを考えると、必ずしも良い影響であったとも言い切れないのですが、例え悪影響であったとしても本作が傑作であることは間違いないと思います。当時の僕も「スッゴい面白かった」って言ってました。確かにスッゴい面白かった。
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