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[コメント] 生きない(1998/日)

礼儀正しさの裏に暴力的な一途さを秘め隠したダンカンの不気味な存在感が、作品全体のトーンを決定づける。そんな彼が、大河内奈々子的陽性と徐々に対決を深めていくドラマ性。最後の落ちも僕は、些かの皮肉も込めずに肯定する。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







沖縄の健康的な明るさをも灰色に沈めるかのような、既に死んだ表情をした、ゾンビの群れのような観光客一同。

大河内が、事情を知らぬままに乗り合わせたバス内の沈んだ空気を払拭しようと、唐突に始める尻取り。皆揃っての食事シーンでグレート義太夫が「こんなの食えるか!最後の食事はフランス料理と決めてたんだ!」と、その通俗性が貧乏臭く、またそれ故に切実さを感じさせる叫びを上げて、大河内に事情を悟られまいとする一同を動揺させた際にも、その場の空気を誤魔化す為、唐突に尻取りが始まる。そんな尻取りが、温水洋一がバス内で死にそうになるシーンでは、一同が一人一人、彼に声をかけて尻取りをさせ、意識を保たせようとする、涙ぐましい行為へと結実する。この、しょうもない尻取りのような行為を通じて、皆がいつの間にか絆を固めていたことを実感させるシーンだ。

そんな彼らに愛想を尽かして、独りバスを降りたダンカンは、ブツブツと呟き声で独り、尻取りをする。「バス、砂、波、み、み・・・・・・」。そして「身投げ」という行為で、独りぼっちの尻取りをつなぐ。

「生きない」から「生きる」へと方向転換した一同が事故死してしまう結末は、虚しく皮肉な最期と言うべきだろうか。だが、孤独に自ら死んでいったダンカンとは異なり、皆は、仲間たちと一緒に、多少とも明るい方へと向かっていく最中に死んだのだ。死は、等しく誰の身にも訪れるし、予め予定していた通りに訪れるのではなく、いつでも唐突にやってくるものだろう。そこが自殺とは違うところだ。だから、同じく死を迎えたように見えて、ダンカンとその他一同は、全く別の生を生きたのだと言うべきだ。

ラストに流れる記念写真。お寒い宴会芸や、夜中のくだらない大騒ぎ等のバカバカしさが、清々しい生の煌きとして甦る。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)寒山拾得[*]

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