[コメント] プライベート・ライアン(1998/米)
「ライアン」と言う存在が象徴する正義・人道・平和への皮肉な寓話。観終ってすぐにもう一度はじめを観ると、本当に「恐ろしい」のは戦争行為そのものよりも、どんな恐ろしい物も、どんどん前より恐ろしくは感じなくなる人間の感性の鈍りだと言う事を知る。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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「最初のシーンだけがスゴイ」と言うよりも、「スゴイと感じる事が出来るのは、最初のうちだけ」なのではないだろうか。
アメリカと言う国の参戦動機自体も常に、「(たかが)ライアンを助け出す」と言う事と、人道的価値にさほどの違いはない、と、作り手は意識しているような気がする。馬鹿馬鹿しい理由、と感じるなら、戦争の動機はいつでも馬鹿馬鹿しいのだ。「(たかが)南ベトナムの人たちを助けるため」「(たかが)イラクの人たちを助けるため」、多くのアメリカ人は命を落とす、と言う「欺瞞」だ。(本当の戦争動機は、ヒューマニズムではなく、国のパワーゲームだが、そう思って戦場に行く米兵士はどれほどか)さらに、戦争が長引く動機もまた「ライアン」に象徴される。すなわち「このままでは済ませられない」。
そして最期に「戦いによって喪われ行く兵達の命」は、「救われて、平和な時間に残される人々の命」に囁く。
「(死ぬ命、生きる命を)ムダにするな」と。
しかし私は、「ムダでない戦争などはない」と思う。戦争映画が「おとぎばなし」を語っている場合でもない、と思う。そしてやはりどうしても、生理的にこの監督の映像には、「映画」を感じられないと思う。
スタッフの労力にプラス一点。
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