[コメント] プライベート・ライアン(1998/米)
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『シンドラーのリスト』で自らのアイデンティティーを模索し、全世界を感動させたスピルバーグもこの映画で自らがどうしようもなく“アメリカ人”であることを証明してしまったようだ。アメリカは常に勝者の側から描こうとする。ベトナム戦争のように負けた戦争であっても、「醜悪な戦争に突然放り込まれた無邪気で無力なアメリカ青年たち」や「残酷なアメリカ軍部隊の中にあって常に良心的であろうと闘った善意の兵士たち」といったように相対的に視野や枠組みを広げることによって、観客に屈折した“勝者のカタルシス”を与え、アメリカ=悪といった抗弁のしようのない事実すら物語の外に埋没させてしまう。
ライアン二等兵の人生は彼の兄たち、あるいは上官やあまたの兵士たちの犠牲の上に成り立っている。故に彼の人生は彼一人だけのものでなく、その生き様には戦死した者たちから引き継いだ使命感や義務感すら付きまとい、また、スピルバーグが極めてリアリスティックに戦争の酸鼻さを描いたことによって、反射的に人生を精一杯、有意義に生きることの重みとその崇高さが浮き彫りになってくる。そして年老いたライアンが己の過去を振り返って、戦死した者たちの命と犠牲の重さに感謝と冥福を捧げつつ、自分の人生のまた死者たちに恥じることのなくそれなりに精一杯生きてきたのだ、と寡黙にしかし力強く表現する時、観客もまた自分たちの人生もライアンと同じようにあまたの死者たちの犠牲の上に成り立っていたことを改めて実感し感動するのだろう。だが、それはどうしようもなく“勝者の論理”に忠実すぎて、敗者に対する思いやりや謙虚さを徹底的に欠いているのだ。
そもそもライアンの兄たちが三人戦死したからせめてライアンだけは救わなければ という軍上層部の“思いやりに満ちた”発想によって特別部隊が編成され、救出にむかい、そのおかげで不要な犠牲者が出たりしているのだが、アメリカから見た戦争ではなく、敵味方を含めた戦争という同一次元から見れば、戦死したドイツ兵士 もまた犠牲者なのだ。彼ら一顧だにされず、ナチスの邪悪なレッテルを貼られたドイツ兵たちの犠牲は正義のアメリカ兵たちの尊い命の犠牲を前にして当然のように受け入れられている。しかし受け入れたにせよ、意識的ですらないのだ。なぜなら、邪悪なドイツ兵たちが死ぬのは“当り前”だからだ。こうして死んで当然のドイツ兵の犠牲もまたライアンの人生の肥やしになっているのだが、スピルバーグによると肥しになるのもまた当然であり、故国ドイツで彼らの帰りを待ち侘びてたり、戦死の報に悲嘆に暮れた銃後の敗戦国民ドイツ人たちには一言断る必要もないのかもしれない。それが徹底的に“勝者の論理”であり、同じ敗戦国民である日本人の僕としては薄っぺらなスピルバーグ式ヒューマニズムに覆われたアメリカの傲慢さに対して不快感を禁じえない理由なのかもしれない。
図式的にすぎるかもしれないが仮にあの戦場にユルゲン、アドルフ、ハインリッヒ、ギュンター、マルティンの五人兄弟がたまたま居合わせたとして、上の四人が戦死したとする。その事実を知った戦友たちはせめて一人残ったマルティンだけは 救おうと必死になっていたかもしれない。しかしライアンを救うという高貴な使命に燃える組織ぐるみのアメリカの攻撃を前にして、こっそりとマルティンは画面に映ることもなくバラバラになって戦死していたのかもしれない。ドイツ側についての配慮はマルティンを救うことができなかった敗者に過ぎないからどうでもいいのだろうか? 勝者がその論理に従って好き勝手に調理して味付けして見栄えよく皿に盛りつけした後、一口も箸をつけないで残飯としてゴミ箱行きにしてライアンの人生の肥やしにしまっていいのだろうか? 別にマルティンなど必要ではないのだ。仮に無名の一兵士であっても、彼の霊にせよ、故国の婚約者にせよ、無事を祈っている母親にせよ、ライアンの人生の肥しになることを拒否する権利があると思うのだが。自分の大切な人の戦死を“勝者の論理”に従って一方的に意義付けされることを拒む権利はあるはずだ。ライアンが過去を振り返る視線もまたスピルバーグと同じでアメリカからのアメリカ的なものだから始末に終えない。
スピルバーグのヒューマニズムは敗残者や忘れ去られたもの一顧だにされなかったものプライベート(二等兵)以下の無名性に埋没しているものたちに対する思いやりや謙虚さを欠いている。しかしスピルバーグで問題なのは彼の傲慢さは意識的なものではなく、彼の善性であり持ち味でありその価値を彼自身も疑っていないであろうヒューマニズムから生じていることだろう。ちょうどベトナム人のために共産化を阻止しようとしてベトナムに介入し、ベトナムのためにベトナム人を殺しまくったアメリカの善意のように。ただ戦争シーンが観応え充分なのはこれもまたスピルバーグらしいというべきか。
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