[コメント] プライベート・ライアン(1998/米)
スタン・ハンセンは大好きなんですが、オレは「反戦」って言葉があんまり好きじゃありません。映画が人に何かを伝えるとき、「反なんとか」にはたいした力はないのではないかという気がする。映画が描くべきことは、他にあると思っています。
『プライベート・ライアン』は後半でなぜか『七人の侍』ごっこをやってたので、安易に『七人の侍』を例に。あの映画は戦乱の悲惨さを通じて何かを批判する映画では全然ありません。しかし小さな村の闘いを通じて、登場人物たちの人間像を我々に問いかける映画ではあったと思います。
それ以上に人に何かを伝える方法があるだろうか? 他に何か必要なんだろうか? オレにわかるのは、人はメッセージに感動するのではなく、人間そのものに感動するのだという事です。この映画のスピルバーグは、どうもそこに自信が持てなかったのではないだろうか。この映画が中途半端にフラフラしているような印象を受けるのは、やはりスピルバーグ自身がフラついていたからだと思う。
スピルバーグがおそらく余計なことを一切考えずに撮ったであろう冒頭のノルマンディ上陸シーンは、出色の出来だった。観ているオレも流れ弾に当たって死ぬんじゃねえかと心配になるほどで、あのシーンは今後作られるすべての戦争映画に影響を与えると思う。あの演出は映画史に残る事件だった。だけどこの後、映画は失速していく。
スピルバーグほどの立場になると、もう無邪気な戦争映画を作ることが難しいのだろうな、とは思う。星条旗はやりすぎだと思うけど、ああまでして宥めなければならない人々が、どこかにいるんだろうなと想像はつく。オレはせめてスピルバーグにはもっと自由に、もっと無責任に、もっとデタラメに映画を作って欲しい。
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