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[コメント] 富江(1998/日)

日常に潜む、人の薄気味悪さを描写する巧みさ。その小さな闇から黒々と湧き出でる存在としての富江。(否定的な意味での)「顔」の映画。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







田口トモロヲ演じる刑事曰く「怖ろしく美しい」富江。それを演じる菅野美穂は誰もが認める美貌というより、小動物的な可愛らしさが目立つ人。だが美の基準など千差万別であり、絶対の「美」は言葉、観念でしかない。実際、この映画は終盤まで富江の顔を巧みに隠す事で、その存在感を高める演出をとっている。そして、立ち居振る舞いや声の出し方など、雰囲気で「怖ろしく美しい」富江を表現し得ている点では、菅野の演技力は見事なもの。

富江が姿を初めて現わす場面では、彼女が梳かす長い髪に顔が隠れている。卒業写真の、削り取られた富江の顔。月子の恋人に富江が迫る場面でも、暗闇のせいで顔はよく見えない。刑事が富江のバイト先で見つける履歴書の写真は、ガラス越しにショットに収める事でぼかして映される。月子の回想でも、繰り返し登場するのは頭部が失われたセーラー服姿の富江の体。

ここまで顔が隠されているのは、正体を見せない事で恐怖を煽る演出意図もあるのだろうが、それ以上に、ラスト近くで富江が月子に囁きかける、「私はあなたで、あなたは私」という言葉に関係しているのかも知れない。富江は常に最後には男に殺される運命にあるが、月子も管理人の手で溺死させられそうになる。その時のショックで記憶が甦る展開も、欲望に駆られた男の殺意の犠牲者になるという共通項を介して、富江との同一化がなされたからではないか。

また月子は、夜中に恋人を写真撮影に呼び出して、背後から自分を抱かせながら「裏切らないでね」と呟く。女の本性としての富江的要素。月子が富江と心中するように爆薬を破裂させるのも、彼女と自分が一心同体だという自覚から導かれた行為だろう。ラスト間際で月子は町の人々の顔を撮って回っているが、続くショットで暗室のトレイに浸かっているのは彼女自身の顔を映した写真。その目の下には、富江と同じホクロ。富江の顔とは、単にこのホクロでしかないのであり、真の顔は存在しないのだろう。まさに増殖する悪意。

富江の顔は冒頭のシーンでは、男が抱えるビニール袋の隙間から覗く目で暗示されている。終盤、ビニール袋に富江が入れているのは、虫の群れ。富江の正体は、この虫たちのような、純然たる「不気味さ」以外のものではない。

富江の変幻自在さは、菅野の声の演技、赤ん坊のような舌足らずの甘えた口調から、一気にサディスティックな強圧的な口調に転じる変化に最もよく表れている。菅野の演技のみならず、病院で聞こえる水の流れる音や、月子の恋人に富江が迫る場面での、滴る水滴の音、富江が傘をバサバサと振る音、そして何より、あのテーマ曲、と音の演出も秀逸な所がある。

ヒロインである筈の月子は、決していたいけな被害者として描かれている訳ではない。彼氏が作った料理を口にせずに写真を撮り続けたせいで彼を怒らせ、怒ったように「旨い!」と叫んだ後でふざけて甘えてみせる場面など、自分をちょっと特別な存在と思いたがっている半面、誰かに認めてもらわないと不安な、或る種の典型的な若い女性像が覗いて見える。他にも、自分を診察しようとした女医に他の患者が「今、私の事笑ったでしょ!」と怒鳴り込んできた後、催眠療法に移ろうとする女医の姿を見て笑うのも、先ほどの患者のように女医に過剰依存している人と自分は違うと言外に主張したがっているように見える。そうした些細な心理描写が随所で光っている。

(評価:★3)

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