[コメント] 剣(1964/日)
市川雷蔵は「白」と「黒」の服しか着ない。学生服は白黒、剣道着は黒に名前の刻印部だけ白、剣道部の旗も白と黒。或いは机を挟んだ二者の構図や顔の半分を黒く隠す強い照明。藤由紀子と川津祐介の乗った車がUターンするショット(ここでの衣装はサングラスに白いスカーフ!)や合宿のランニングが埠頭から戻っていくショット、船を真ん中に挟んだ海のショット。視覚的に連鎖される「二項対立」「対称性」のイメージ。
大学構内の会話では仰角の移動ショットの切り返しや金網を挟んだ画面で話者同士を丁寧に2つのカットに分け、部活の練習風景においては雷蔵とそれ以外が向かい合う形に配置され、40分の正座では手前に正座してる人間、奥に練習している集団という構図が使われる。合宿で腕立て伏せをする場面では人間と地面に映されたその「影」が画面に収められ、体育館の休憩においては練習で流された「汗」の付着した床が映し出されることになるだろう。よくよく考えれば本作はそもそも「白黒」画面である。
こうした視覚的な統一が、あくまでも説話的効率を乱さない範囲の中で連続していることがとても素晴らしい。本来の物語とは別の、「視覚的な物語」が同時進行していることになるからだ。「視点はただ、より深い意味、第二の象徴的な意味をそれに賦与するにすぎない。しかも、それによって、それらのものの持つリアルな意味が失われることは無い。第二の意味が理解できなくても、画面は普通の映画のシーンの一部として理解されるであろう。<中略>それらのものは筋の中に展開するシークェンスの構成要素をなしている、リアルな映像である。それらのものが強調され特別な視点の下に示されたという事実のみが、それらのもつ本来の意味を超えて大きな力を与え、それを象徴へ転化する」(ベラ・バラージュ「映画の理論」)
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