[コメント] 菊次郎の夏(1999/日)
北野映画で「たけし」が演じなければ成り立たないのはこの作品だけなのではないか。たけしが殊更連発する「ばかやろう」の裏に隠されたもの。
私たちは「ディズニーランド」に行かずに子供と遊べる能力があるのか?
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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絶望している子供に「天使の鈴」を与えられるか?
私はそれができない人間として、菊次郎に感動した。
たけしだって知っている。「天使の鈴」の無力さを。 正男が「何も見えない。わからない」と答えた時、それを励ます言葉に詰まった菊次郎はやるせない顔をする。 けれど、正男は、はじめて自発的に、菊次郎の手をつなぐ。 子が親に求めるのは、表層的な励ましなどではないのだろう。
後半部の数々の「笑い」、観客を−ではなく、正男を楽しませるためにこそ存在するもの。 だが、私は正男と一緒に笑って、笑わせてくれるたけしに感動した。 松本人志は「神が人間を創った。それがなんだ。私は笑いを創っている」と言ったが、人を楽しませることの困難さ。怠惰な大人はそれを「ディズニーランド」で隠蔽する。
照れ屋なたけしは、率直なメッセージを「ばかやろう」と自分を貶めることなしには言えなかったんだろう。
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