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[コメント] 朝やけの詩(1973/日)

「戦後開拓」について蒙を啓かれ驚愕。しかも満蒙開拓とダブルパンチとは。ああ国策なんてこんなもの。無知を嗤うのは後知恵。いまやガソリン車産業だっておんなじ運命だ。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭の森の描写はストローブ=ユイレ風。関根恵子が油っ気のないいい顔している。このようにぱっと自然と交わる俳優は邦画百年通じて稀少だったものだ。山上でギター弾く北大路欣也との交歓は甘すぎて恥ずかしい類で止めた方が良かったのにと残念。北大路は子供たちと地面から蜂の巣を取り、岩割りし、シラケて開発会社に就職して関根のために戻って来ている。

関根の親父の仲代達矢は荒地開墾に切り株起こし(入村後25年経ってもまだ荒地があるのだ)、公共の給食室から残飯もらってドラム缶でコンポストしている。関根は「父ちゃんも開拓30年と云っていた」と語る。高地は酪農しかないと家畜飼って、牛が横倒しになって泡吹く(昔らしい撮影)。生のジャガイモ喰った。腹撫でて牛は嘶き、諦めて腹を器具で刺してガス抜いて、牛は目剥いて死んじゃう。死んだら3年逆戻りと云われる。

仲代は元海軍で、彼の父は北モンゴル開拓から引揚げ。この一家は戦前も戦後も政府主導の開拓に参加して二度とも裏切られているのだ。仲代と別れて町に出た元妻の岩崎加根子は「開拓はじめた頃は夢があった。貧乏は人を変える」とウイスキーラッパ飲みし、旦那はアポロの人間で、後半では宴席で灰皿に酒ついでアポロの面々にぶちまけている。

Wiki引用。「戦後開拓(せんごかいたく)とは、日本国内における農地開拓のうち、第二次世界大戦後に、食糧増産、復員軍人・海外引揚者・戦災者の就業確保のため、国策として行われた開拓事業である。」1945年に実施要領閣議決定、1975年に「終結」。「この間、全国で21万1千戸が開拓地に入植し、105万6千戸の既存農家が開拓地に農地を取得した。開墾施行面積は、44万9千haであった。しかし、開拓地の営農は困難を極め、開拓を諦め離村した者も多く、21万1千戸の入植者のうち開拓行政終了時点で入植を継続している戸数は9万3千戸と、半分以下に減っていた。」大規模開拓での成功例もあるが、「戦後開拓地はそれまで水田稲作が行われていなかった地域であるため、灌漑用水の確保できない洪積台地上であることが多かったが、まとまった平坦地で所有関係が複雑でないという土地形態や営農の困難を背景に、高度成長期以降、工業団地や空港等の公共用地、ゴルフ場等に転用された例も多い。」成田の三里塚も戦後開拓地らしく、小川伸介とここで踵を接する映画のようだ。

ということで県が方針かえてアポロ観光ビーナスライン誘致の地元説明会。「25年前に農業立国にすると云ったぞ、開拓村はどうする」という当たり前の指摘に村長(稲葉義男だったか)は「悪いようにせんから」と横顔でへらへら笑って退場するのが、実に見事な造形。原生林、植物群落がなくなってしまう危険がすでに指摘されているが、こんな説明に全く動かされないのが日本人(今日も世界で唯一、気候危機を諦念で受け入れているが、当時もそんな空気だったろうと想像される)。熊井も『黒部の太陽』から見解を変えたということなのだろうか(山男の裕次郎が自然保護を語ってはいたが)。ある種の謝罪で作られたのかも知れない。

測量の赤白ポールみつけて仲代が有無を云わせず測量技師に殴りかかるのがすごい。用地の一部だけ測量して分断工作という手口がなるほどと思わされた。仲代は留置所行で戻ったら家畜は殺されている。村人は取っ組み合い。引っ越す一家もあれば離れねえぞと怒鳴る婆さんもおり、狂った人も首吊る人もおり、アポロの現場事務所に放火する奴もいる。

開拓民はみんな500万円の借金していると云われている。彼らに資金援助もしている地元の有力者の佐分利信は開発会社のやり方を嫌っているが(「アポロの目腐れ金」)時代の流れに抗えぬと仲代に餞別代りに140万円の証文返還。差し出された握手の手を仲代は握りつぶそうとするのだった。ラストの山吹き飛ばすダイナマイト連発がものすごい。

(評価:★4)

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