[コメント] 気狂いピエロ(1965/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
私が「ゴダールを観なくちゃいけない」という熱と強迫観念に囚われていた30数年前の大学生の頃、テレビ放映(その時は2度目の鑑賞だった)の際は『ピエロ・ル・フ』という原題でした。80年代の日本は「キチガイ」って言っちゃいけなかったんですよ。それまでは全然OKだったんでしょうね。『気違い部落』ってあるくらいですから。この映画の存在はYasuさんに教えられた。結局、今日ここに至るまで観てないけど。そういや市川崑の『獄門島』なんて、「キチガイ」って言わなかったら一歩も話が前に進まないからね。
実はこの映画を観るのは4度目くらいで、初の劇場鑑賞。大嫌いなんですよ、この映画もゴダールも。青臭いというか、ちょっと知的ぶった大学生が書いた、本人は繊細なつもりで実は乱暴な言葉を振り回した文章みたいで。お前、自分で思ってるほどセンス良くないからな。私が大学生だった80年代、無駄にゴダールブームだったので「ゴダール観なきゃいけない」という脅迫観念に駆られてたんです。今にして思えば、ゴダールが商業映画に復帰した時期だったんだな。
そういうわけで、このゴダール35歳頃のこの作品を、20代で(2度)観た時は大嫌いで、その後、2002年に製作時のゴダールとほぼ同じ年齢で再鑑賞した際は、少し許せたんですね。「これは散文なんだ」と理解した時、何か文学的高揚があったんです。既に左翼化の傾向(政治的主張)があったことも理解しましたし。ただ、私の観たい映画とゴダールの作りたい映画の隔たりは埋められず、決して好きにはなれませんでした。
その数年後の2006年、私は『はなればなれに』、『軽蔑』という大好きな映画に出会ってしまったわけです。「あ、俺、ゴダール嫌い治ったかも」と思って、その後もゴダール何作か観たんですが、ほんと大嫌い。『勝手にしやがれ』なんか観る度にどんどん嫌いになる。
それで今回、50代の私が、青二才ゴダールの本作を再鑑賞したら、めちゃくちゃ面白かった。
サミュエル・フラーが出てくるんですよね。
「映画とは、戦場のようなものだ。愛、憎しみ、アクション、暴力、そして死。要するに、エモーションだ」
こう言うんです。たぶん。ネット上の情報の丸写しだから間違ってないと思うけど。そしてこの『気狂いピエロ』は、サミュエル・フラーの言葉をそのまま映像化したのです。
私が『はなればなれに』に出会えたことも大きくて、「ゴダールは(従来の)映画の枠組みを壊そうとしている」と理解したんです。そう考えるとこの映画は、サミュエル・フラーの言う「映画的な何か」を全部網羅しつつ、「(従来の)映画的でないもの」を構築しようとしている。そしてそれは、「人生」のようであって「人生ではない」、それが「映画だ」とこの映画は言っているのです。
さらに言えば、日本の学生運動もそうですし、フランスも五月革命など、世界が、従来的な価値観を「破壊」する機運があった時代なんだと思うんです。「映画」の持つ従来的な構造(価値観)を壊そうという意図を感じる映画です。それでいて根底に流れるのは、分かりあえない「男と女」という普遍的な物語。ただ、ちょっと長い体感なんだよな。110分しかないんだけど。
(2022.04.20 ヒューマントラストシネマ有楽町にて再鑑賞)
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