[コメント] 市民ケーン(1941/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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俳優としてはともかく、同時代においては監督としては決して恵まれてないオーソン=ウェルズの監督デビュー作(この歳25歳)。実際本作を作ってしまったため、プロデューサーが恐れをなして彼に資金提供を渋ったのが原因らしい…
現代にあっては彼の監督作品の一つ一つは賞賛を受けている。その中でも最高傑作との誉れ高いのが本作。特にアメリカでは名作アンケートを採ると、ほぼ確実に本作がトップを取ってしまうほど。
役者としてもトップクラスの実力を持っていたウェルズは、役者として金を稼ぎ、それを自主製作の映画のために使ってしまっていたそうだが、本当に勿体ない話だ。彼に充分な資金提供をして監督業に専任させたら、素晴らしい映画をたくさん残してくれただろうに。
…と、絶賛してるが、実は私自身は本作に限ってはあんまり好きじゃない。いや、嫌いって訳じゃないけど、そんなに大騒ぎするほどの作品なのか?と思ってる。
カメラワークの素晴らしさ、特にこの時代にパンフォーカスを多用する先見性とか、ややオーバーアクション気味のキャラクターの動きなど、言葉の奥にある言葉にならない言葉を非常に良く出してくれていたと思うし(ウェルズは『駅馬車』(1939)や『カリガリ博士』(1919)を数10回見返し、演劇とは違う映画独自の映像演出を研究したそうだ)、この映画が後に映画界に与えた影響は無視できないと言うことは分かる。
ただ、アメリカ人に受けているってのが映画単体としてではなく、本作が実在の新聞王、ウィリアム=ランドルフ=ハーストをモデルとしてるから(本映画のキー・ワード「ローズ・バッド」とはハーストが愛人マリオン=デイヴィスの秘部をそう呼んでいたためとも言われる)、その勇気を称えて、あるいは権力者に真っ向から刃向かってるって言うのが受けていると言うイメージがどうしても抜けない。それがなんだかアメリカの偽善性を見させられているような気分になって好きになれない(そう言うことを言う私自身が心が狭すぎるんだろう)。それにこれを本当に楽しむには日常的にメディアにさらされているアメリカという国に住んでいて、ハーストという人物を知らなければならないってことだろう。
そう言うわけで私は今ひとつ乗り切れないまま。
ただなんせそう言う問題作。監督デビューの若造にそんなものを会社が命じた訳でなく、ウェルズは製作元のRKOには黙って、「フィルム・テスト」と偽って作り始めたそうだ。それで首脳陣がそれに気づいた時には既に半分近くまで進んでいたという。
又、メディア王に公然と楯突いた事もあり、この年のアカデミーではハースト系のメディアが大々的な反対キャンペーンを張り、ノミネート数だけはたいしたものだが、賞自体はぱっとしなかったのは事実。しかもウェルズはこの初監督作品のお陰で一生苦労する羽目に陥ることになる。確かにアメリカ映画界における傑作となった作品だが、そのため迷惑を被った人間の数もかなりに上る。
後に『ザ・ディレクター』(1999)という、本作の舞台裏を映画化した作品があり、そこでハーストとウェルズの緊張したやりとりなどがドラマとして見られるが、映画の出来自体があまり良くない上に私には退屈に過ぎた作品だった。
余談だが、劇中にキー・ワードとして登場する“ローズ・バッド”の付いたそりは三つ作られ、二つは焼かれたが、もう一つは競売にかけられ、スピルバーグが見事落札したとか。
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