[コメント] 市民ケーン(1941/米)
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「市民ケーン」は多分十代の頃見たはずだ。ふーん、こんなモンかてなもんだった。若いって恐ろしいものだ。 再見してひどく驚いた。冒頭からエリを正す思いだった。「これは別格だー」あらゆるシーンに色んな物が満載な大変な宝庫であると思う。世相や時代、映画技術、俳優、人生、などなどが集約された、気持ちの悪いほど完成度の高い、力のもこった映画だと思う。好みを上回る巨大さ。映像技術については全然無知だけど何となく「凄い」のは解る。
当時のアメリカの世相を大変よく表しているのだと思う。新聞について、マスメディアについて、サクセスストーリーについて、政治や選挙風景、恐慌。また人間の一生についても同様に。親との関係、愛について、人生の浮き沈み、自分探しなどなど。この映画を元ネタに数冊の本が出来上がりそうである。それくらいこの映画は奥行き深い。
美しいシーンは冒頭と子供の頃の雪のシーン。ケーンはこの田舎町で平凡に暮したかったのだと思う。子供を手放す母と父。一見子供を守ったかに見えるやつれた野心ある冷たい母。ほんの数ショット。幾らでも話は膨らむ。
ラストの美術品の数々を並べた風景は興味深い。ケーンが大変な収集家であるのと愛情を勝ち得なかったのはイコールで結ばれる。中が空っぽだから沢山の物で埋めたかったのだと思う。(それは当時の新大陸の歴史あるヨーロッパへのコンプレックスのようにも思える。) 観客共々あれほど追い求めたローズバッドの正体も解るかどうかの微妙なうちに焼かれる。人生とはこんなもんだよと言わんばかりに。
この芯を持ちながらも幾重にも想像を喚起させる、振幅ある映像を作り出して行ったのが弱冠25歳の新人だとしたら、多数の人間が関わる総合芸術としては奇跡的なことじゃないでしょうか。
ただちょと前に見た「パリは燃えているか」のオーソン・ウェルズは、普通に人のよいオジサンだった。才気走った感じも受けなかった。何でだろう?この映画では青年から老人までスゴイのにね。
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