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[コメント] 真夜中のカーボーイ(1969/米)

「俺はお前らとは違う」とか言っているうちに転げ落ち、無様につぶれていく連中。しかも彼らの夢なんて実にとるに足らないものなのに憧れを抱いてしまう。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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私がこの作品を好きなのは、彼らが愚かしさゆえだったとしても、人生に折り合いをつけなかった態度に惹かれるからだろう。負けそうな勝負をさけてきた自分への負い目かと思う。

トルストイの「人間にはどれくらいの土地が必要か」という小説では、自作農に憧れる主人公が、日暮れまでに今いる場所に戻ってくる条件で、一日の中で歩いた距離の分の土地をもらえるという勝負に挑む。安全を期すれば、スタート地点から早めに折り返し、せまいが確実な面積を確保すればよいのだが、なるべく、なるべく遠くへ行こうと思う。どこで折り合いをつけるか? それはどういう軌跡を人生に描いてみせるかを考えることに等しい。なるべく遠くへ行こうとするあまり戻ってこれず、仮に途中で倒れてもそれは本望、と思うのが若いうちというもんだ(小説の教訓はこれとはまた違うところへ着地するんだけど、まあそれはそれとして)。

彼らのベクトルはまっすぐで折り返そうとしない。ジョーの天然の自負心も羨ましいが、彼よりは己の今を知りながら、ドラッグパーティで「世の中に迎合しないもの同士が傷をなめあうこと」にも迎合しなかったリコがかっこいい。その彼が男娼のヒモになるという、このうえもなくダメな方法で人生に活路を見出す。どうだろう、そんな生き方って。しかし「そんなのが人に自慢できる生き方か?」と、問うようなブルジョア属性者たちの、自己欺瞞や、所有するがゆえの不自由さからは、彼らは解放されているわけだ。何もかも負けているわけではあるまい。

「都会への幻想」という点でいうと、今みたいに地方にいながらにして情報がいきわたっている中で、自らの仮想現実の中で孤独に埋没していくのとは違って、都会に来て初めて知る「現実」にあたってくだけていく挫折感。70年代の表現者たちが体現したこのころの都会の描き方のとりつく島のなさ、乾燥した孤独感は、格別の味わいがある。

あと、この映画は技術的にうまいんだな、と思うことしばしば。車にひかれそうになるシーンがいくつかあって、冒頭で意気揚揚としているジョーは、軽トラとぶつかりそうになり、軽くおどけてみせる。中盤でのリコは、タクシーのボンネットを叩いて怒鳴りつけてみせる。終盤、女性専用ホテルからつまみ出されたジョーと、彼を抱きかかえるリコの2人は、迫ってくる車に一瞬怯えた目を見せる。宿代がはらえずホテルから追い出され、カフェでクラッカーにケチャップをかけようとすると、フタが落ちてズボンがケチャップまみれになる「何もかも思ったようにいかない」。心の機微を小道具を使ってうまく表現している。演出にすきがないと感心。全体の構成もよく、映画として抜群のバランスを持っているのではないだろうか?主題曲の入れ方?は言うまでもなし。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (8 人)サイモン64[*] 煽尼采[*] モノリス砥石[*] けにろん[*] sawa:38[*] ぽんしゅう[*] Myurakz[*] 水那岐[*]

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