[コメント] さらば映画の友よ インディアンサマー(1979/日)
私が最も好きな日本の俳優の一人、拓ボンこと川谷拓三さんが亡くなったと聞いたときのショックは大きかった。私にとっては、ジョン・レノンが殺害されたときのショックに匹敵する特別な思いだった。
彼は、死人でデビューし、殺され役、殴られ役をしながら、文字通り体を張った全力の迫真の演技で認められた。しかし、認められて台詞が増えてくると、彼はそれをどう演ずるか、いつも真剣に悩んだそうだ。重要な役柄が与えられるようになる頃には、それは凄まじいものになり、鬼気迫るものだったらしい。演技に入る数日前から彼は部屋にこもり、誰とも会わず、食べるものも食べずに考え続けたそうだ。
この映画で、ダンさんは、「俺の人生の目標は、1年365本の映画を見続けること、それを20年続けること」と嘯く。そして「人に好かれる映画の見方をしませんか」と説く。体を張って説くのだ。
この頃、拓ボンは主役を演じはじめた頃だ。主役は2作目ぐらいではないだろうか。それも自分自身を表現するような役柄だ。勝手な推測だが、一層悩みに悩んだんじゃないかと思ってしまう。そう想像すると彼の一言一言が私の気持ちに入り込んでいくる。疎かに観るわけにはいかない。彼の言葉を噛み締めているうちに、私は、映画少年だった昔の自分たちのこととダブらせてしまう。
小学生の頃、無類の映画狂いの親友がいた。そいつの嘘かホントかわかんない、いい加減な映画の話に感化されて、2人で映画館に通い詰めた。名画座なるものは私の街にはなかったけど、リバイバルの映画も結構やってきた。よく「これほどの名作、混み合うに決まっている」とその親友に騙されて、朝一から並びに行った。開館前から並んでいるのは、結局いつも私たちだけだった。彼は、「なんと映画のレベルの低い大人たちしかいないのか!」と怒っていた。
彼は、映画館でマナーの悪い奴が近くにいると丁寧に注意する。相手を怒らせないように結構上手だった。小学生が申し訳なさそうに申し入れると、大抵は照れくさそうに静かになる。特に問題になることはなかった。ただ、一度、中一になったばかりの頃、他の学校の中三ぐらいの奴らを注意した。一瞬マズイと思ったが、映画館では何もなかった。でも翌日の放課後、そいつらが大勢でやってきて、彼を体育倉庫に連れ込んで殴った。でも鼻血を出しながらも彼は「ちゃんと映画を観れないような奴らは相手にしないんだ」と僕に強がりを言った。
この映画が、川谷拓三さんを偲ぶ思いと小中学校時代の親友の思い出を呼び起こした。彼は今、どうしているだろう。もしかしたら、シネマスケープで硬派なコメントを綴る、うるさがたの親爺になってはいないだろうか?
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (4 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。