[コメント] カッコーの巣の上で(1975/米)
管理社会と個人の尊厳、というテーマに施された性的な仕掛けが巧みだ。女権によって腑抜けにされた男たちを奮い立たせるジャック・ニコルソンは生命力の象徴である。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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修道院を思わせるこの病院での対立構造を性別で色分けしたことには意味がある。男のリビドーの本質は攻撃性だから、患者たちは去勢されたオスに等しい。
ニコルソンが持ち込んだのは精力であり、ラストには文字通りビリーの男を立たせることに成功する。ここでニコルソンがルイーズ・フレッチャーに襲いかかる暴力の爆発もまた非常に性的なものだ。
廃人となったニコルソンの首の据わらない様子は、萎縮した陰茎そのものであるし、エンドロールでのチーフの一連の行動も(噴き出す水、外への解放といった)生命を感じさせるモチーフで修飾されている。
この映画が長く人々の心を掴んで放さないのは、自由・人権だけではなく、生命・精力・生殖といった生きることの根源的行為を感じさせるからだと思う。
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