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[コメント] ベニスに死す(1971/伊)

1899〜1923年のアジア型コレラの世界的流行の記録でもある。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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90分のホンで130分撮るという、らしい腰の落とし方で、1911年の意匠に改装したホテルをゆっくりたっぷり見せるのだが、コレラ禍は比較すると大人しい。駅舎で倒れる罹患者と、街に撒かれる白い消毒液及び野焼きの黒煙。これらは基本はダーク・ボガードの、墜ちて行くのも幸せだよの心情風景なのだが、そこは「マリオと魔術師」他でファシズムと戦った原作者らしく、市あげての情報封殺の恐怖も語られている。「外国の新聞はデマでもってベニスから観光客を奪おうとしているのです」とホテルマンは語る。問い詰められた銀行員は「アジアコレラ」を語り始める。ただ、これら政治的隠蔽はそれ自体としては批難されない。ただ先行き見通せぬボガードの実存の不安に連結されている。

本作に白塗りの男は3人登場する。三人目がボガードになるのだが、ひとりは冒頭、旅客船からの下船時にボガードに絡む気のふれた紳士、ひとりは中盤のヴァイオリン弾く道化だ。前者はボガードを狂ったように歓迎するし、後者は媚びていたブルジョア連中に向けて最後に門の外から「ブウ」と小馬鹿にする。このふたりも罹患しているのだろう。その他、ボガードに判らないイタリア語でブツブツと文句をいい続ける冒頭の船頭とか、煩い批評家とか、コンサートでのブーイングの思い出とか、碌でもない人物ばかりが登場する。

そんななか、ボガードは毅然とした貴族に心惹かれる。恋される者の気高さと恋する者の醜さの対照は万人の心を打つものがある。しかし、それは道化師の「ブウ」から目を背けた処にしかないものだ、とヴィスコンティは特権化するのだった。

なお、Wikiによればアジア型コレラの世界的流行は19世紀以降6回あり、本作が語る1899〜1923年の流行はその最後。1884年にコッホによってコレラ菌が発見され、医学の発展、防疫体制の強化などと共に世界的流行は起こらなくなったとのこと(スペイン風邪は1918〜20年)。マーラーは同年にウィーンで亡くなっている。ベニスで亡くなったのはワグナーで、1883年に心臓発作で客死。溺愛した妻のコジマに抱かれての逝去と伝えられる。

(評価:★4)

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