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[コメント] 大いなる幻影(1999/日)

郵便局の空間設計やらパーカッション集団やらの視覚的な「異様」によって映画性を担保しつつ、私たちの生きる「日常」を僅かにズラすことで日常と地続きの終末風景を現出させる。予算が要請するところのものでもあるいつもの黒沢的手法と云えばそれまでだが、敢えて物語性を希薄化するような語りがそれを際立たせる。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







あるいは曖昧な「境界」についての映画。国家間の境界が不分明な世界で唯野未歩子は漠然と抽象的な「海外」に思いを馳せるが、彼女には空間に境界を捏造するところの「ここ」という語の自明性さえ通用しない。また消滅と出現を繰り返す武田真治にとっては存在と非-存在を分かつ境界までもが溶け出しているようだ。この映画におけるそのような境界の在り方は郵便局の窓口に設けられた仕切り―黒沢的な細部である「半透明」の膜が象徴しているだろう。越境を夢見ているようでその越えるべき境界の存在さえも捉えることができない二人の「再会」が感動的であるのは、それが郵便局の窓口を乗り越えるという文字通りの端的な越境アクションによって果たされているからだ。敷衍して云えば、曖昧さを描いたこの映画が「曖昧な映画」に堕さないのは随所のアクションの明晰さのためだ。「映画」は明晰のメディアである。

(評価:★3)

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