[コメント] 御法度(1999/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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“生木の裂ける音”とは、冒頭の入隊試験のシーンで松田龍平(*)が発した第一声、その気合の声を聴いた時に脳裏にふっと浮かんだ比喩。その声を聴いて何だかちょっと動揺した。だがその動揺があったればこそ、あの結末でも、これはこういう映画なのだと、すべて分かる気がした。
「映画は俳優のドキュメンタリーでもある」との監督の言葉があるらしい。私が映画で見出したいと思っているのもまさにそれだったりする所為か、不安な気分で銀幕を見詰めながらもいつのまにか引き込まれていた。演者の演技をどうこうと言う映画ではない。もとより普通に虚構然とした演技を撮ろうしているわけではないのだから。(実際監督は小手先の演技をしているように見えた役者に怒声を浴びせたりしたらしい。)それはなんとも言葉にし難いのだが、心理的に閉塞した状況でせめぎあっている男どものグラつく存在を感覚できるだけでも、腸に血が滾ってくるような愉しさがあった。(そこには当然、ぬぼォっとした松田に必死に腰をつかっている田口トモロヲなんかも含まれている。)観ているうちには細かな文句もたくさん湧いてくるのだけれど、観終わる時にはそんなことはどうでもよくなっていた。
思うに、顔の向こうにはそいつ自身の存在、言ってみればそいつの魂があるのだということに思い至らなければ、こんな映画は面白いとは思えなくなってしまうのかもしれない。勿論のこと「魂」なんていう言葉自体は形而上的な観念を表す比喩に過ぎないが、そう呼びたくなるような何モノかをその顔に見出してしまうからこそ、その具体的存在を我がモノにしたいと欲望し、またそれが果たせないことを自己の限界として思い知るのではないだろうか。この映画は、そんな他者との狭間に生じるエロスと殺気の背反を、現に演じている演者の存在を信じることで映し出そうとしている。(それは「身体」という抽象名詞に還元されるものではなく、まさに演者自身が現在形で滲ませている異形性だ。)気がつけばそんな世界に否応なく引き込まれてしまっていた。結末は、外在的に「美しい」と表現するよりも、「嗚呼」と息を漏らしてしまうような感動があった。(あれだけですべて分かる。)
何故か劇中の武田真治(演じる沖田)に、言葉にし難い愛を(笑)覚えてしまっていた。こんな男になれるものならなりたい。
映画は美学的に完遂されているわけではなく、むしろ狙いが狙ったようには結実し損なっているところも多分にあると思われ、その意味では失敗作とも言えるかもしれない。過去の監督の才気に富んだ先鋭的な映画達に比べれば、或いは監督の老いさえも感じられるかもしれない。けれど、それでもそこには何か否応なく感応してしまうものがあった。私には、リアルタイムで観れてよかったと思える有り難い映画。
*)松田の顔。過去の作品を省みても、大島渚の好みは朝鮮系のつり目顔なのではないかと思う。(敢えて言うなら)日本的な「あやしい」顔と言うよりは、「いや(ら)しい」顔。それだからよいのだと、私は思う。
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