[コメント] 雨あがる(1999/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まず冒頭の町人達のサリゲナイ説明セリフでガクッとなる。お約束をやるときは時と場合をわきまえなきゃ。落ち着いた感じに景色映してゆったり始め・・・るのかと思ったらいきなり登場人物が脚本読み出したのには笑ったよ。例え前知識なくても、あの瞬間に黒澤の顔が浮かぶよ。
で、妻。 誰が木偶の坊だよ(笑) 夫もどういう教育してんだよ、と思ったら最後は夫まで加勢して八つ当たりしてサヨナラっておいおい。最後に限らず、そもそもこいつが嫌われるのはこいつに思慮が足りないから。現代でもいるでしょう? 周りの事気にしていっつもぎこちなく笑ってばかりいて、遠慮ばかりして結局うざがられる奴。自分の弱さを人のせいにしては仕事を放り出しては、ろくに奥さんも養えない能なしですね。
能なしでもね、いいのよ、別に。本人と奥さんがそれでいいってんならね。人が何と言おうと人を押しのける事はしない、それで上手くいかなければ仕方ない、ってそう確固たる信念で人に左右されずに貫くならね。それをよりによって、そんな自分を見込んでくれた恩人の使いに、全部おまえらが無能なせいだと八つ当たりして帰ろうなんざ、・・・・・・。あの妻の一言に激しい違和感があるせいで、最後の長い長い「余韻ショット」もむしろ違和感の余韻が残るだけという始末。とりあえず黒澤のうざい所がぎっしり詰まった脚本にある意味安心した。
さて、貶し終わった所でいよいよ本番。上記のマイナスを吹き飛ばす、このなんとも言えぬ気持ち良さは何なんでしょうか。何が良いってやっぱ「空気」だよね。全体を包み込むぬくぬく感。空気が美味しい。こんなに美味しいのは、この作品が個人的なお話であることが重要なんだと思う。
時代劇って、とりあえず「時代劇です」って匂いを出すことを最優先させる場合が多いよね。どんな時代劇かってことが二番手で、それが「時代劇である」ということが一番手なタイプ。。いわゆる「時代劇」。この作品は時代劇っていうより、お人よしと、その妻と、雨あがったよ、っていう映画。そこがいい。こういうシンプルな話にこそ時代劇という舞台は合う。現代の普通の舞台でシンプルな話をやると、シンプル過ぎてつまらなかったりする。内容はシンプルに、でもって舞台を時代劇に、景色は美しく。時代劇という異空間だからこそシンプルな内容が引き立つ。この手法が好きなんですよ。
そしてこの「時代劇にシンプルな話」という舞台装置の中からダイレクトに伝わってくる日本的な魅力。この作品の面白さって、いわゆる昔ながらの日本的な温かさってものがすっきり味わえる、ただそれだけ。やっぱ日本人は未だに(今だからこそか?)日本的な美、日本的な魅力というものに飢えてるところがあると思うのよ。これだけヌルイ作品にもかかわらず、これだけ温かく迎えられているのも、そこでしょやっぱ。みんな観たいんだよ、こういうのを。あまりにも少ないじゃん、こういうシンプルに日本的魅力を味わえる大衆作品がさ。この程度でいいのよ、別に。そんな肩に力入れなくたってさ、この程度で十分多くの人を気持ち良くさせられるんだよ。
なにもそんなハイセンスじゃなくたって、そんな大掛かりじゃなくたって、そんな隙のない出来栄えじゃなくたって、みんなこういうのもっと観たいのさ。この作品の優れているのは、皆が喜べるものを一番シンプルな形で、(実は)一番簡単なやり方で、提供したこと。
邦画はつまらないつまらないと言われるけど、今こそ日本的な作品というものが求められてると思うね。こういう文化基盤の不安定な昨今こそ、時代劇っていう舞台装置が普遍性をより強くする。一億総欧米化の時代にこそ、ただ「日本である」というだけで価値が出る。ただのお人よしがイケテナイ時代だからこそ、ただのお人よしの話に癒しを感じる。だって日本人だもん。ね。終わり。
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