[コメント] シュリ(1999/韓国)
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感想です。
映画はテロリズムだ。表向きの平穏な日常を切り裂いて、一瞬に真実を露呈させる。これはそんなテロリズムの気迫が全編に溢れた映画だ。如何にもドギツイ冒頭の訓練描写から、転じて現実に起こったテロルを一気に列挙していくあたりで、もうつかまえられてしまう。現実の出来事を単に意匠として取り込んでいるだけの皮相さは感じない。
劇中つるべうちに描き出されていくアクションには不思議なくらい鳴かされっぱなし。細かな脈絡の破綻を論う暇もなく、異様なテンションで映画は転がっていく。表向きにしろ平穏であるはずの街中に、戦争並みの殺戮が巻き起こる。銃撃戦をぬけて敵の女を追う先に、見なれた熱帯魚(シュリ)のネオン。泣きそうになった。このアクションつるべうちを確信犯的にやってるんなら自分としては大拍手。開き直って、「こいつはテロリズムの観念映画だ!」なんて馬鹿な考えまで(一瞬)生じた。
何にせよ拙い語彙では筆舌に尽くせないような情念がある。クライマックスとなる親善試合のシーンは現実のイベントに乗じて一発勝負で撮影したらしい。50年に及ぶ現実の歴史を振り払おうとする(映画をつくるということも含めた)真率な若い情熱を感じる(それが若い情熱だというところに希望がある)。追い詰められた女の決死の形相と、男に未練を遺した血塗れの死に顔に泣いた。ラストを優しい歌で〆るあたりに希望を託したいという思いが見出せる。同時代の映画としてこいつを観れた韓国の人は幸せだ。久しぶりに、観たあとに背筋張って歩きたくなる映画だった。この映画は、虚構としての客観的精巧さを求めるよりも、溢れる情念(*)の映画として堪能すべきではなかろうか。
この映画を観ながら、20年前の邦画『太陽を盗んだ男』を思い出した。あれもテロリズムを主題として、時代と世代的感受性との合いの子として生まれたような映画だった。細かな破綻や意匠の甘さはあっても、作り手や役者の情念が観客を無理にでも引きずっていくような迫力があった。韓国とて表向きは平穏な日常があるはずなのだが、若い作り手にはそこから跳出したいという強い欲求があるのではないかと思える。それがかつての日本のそれのような内向きの情念ではなく、娯楽映画としての体裁をもつことが出来る外向きの志向足り得ることにちょっとだけ羨望を抱いてしまう。
今の日本でも、こんな映画を図太く撮ってくれる若い作り手は出ないだろうか。けっしてハリウッドの真似をしてくれと言っているのではなく、語り種になるような映画。 劇場を出た時に、劇中の状況が現実に持続しているかのような(敢えて言えば)祝祭的な感覚を抱くことの出来る映画。今の日本の社会状況では無理か。
*)「情念」なんて古臭くてどうしようもない言葉だと我ながら思うが、テレビ放映を観てさえ興奮してしまうのは確かにそんなものに引きつけられてのことなのだと思う。「国家」や「民族」だのと言った巨大な(空疎な?)物語に引きつけられてしまう心性が、自分の中にもまだあるらしい。映画に引きつけられる脈絡なんて多様なものだ。
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