[コメント] 妖星ゴラス(1962/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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能天気な説教映画。「能天気」「説教」とも私は嫌いなジャンルで、必然としてこの映画は好きではない。
私は荒唐無稽な話を否定しているのではない。 掲げたテーマが「平和」であったせいか、全てが「平穏」なのだ。 葛藤も成長も危機感も感じられない。それが不満なのだ。 「もっと増設を」「国連だって無い袖は振れん」みたいなやりとりが茶飲み話のまま終わってしまい何の発展も帰結もしないように、人類の危機がまるでお茶の間感覚。いっそ「茶の間にゴキブリが出たっ!」って方がよほど危機感が沸く。 そうか、もしかすると話のスケールと危機感は反比例するのかもしれないな。
だが私は、本多猪四郎の心意気を買いたい。この映画は、現代(公開当時)批判なのではないかと思うからだ。
私が公開当時に今の年齢なら自明の事だったろうが、仮説を証明するために用でも無い調べ物をせにゃならん。
設定は1980年代のようだが、制作は1962年(昭和37年)、公開はその年の3月。 「もはや戦後ではない」と経済白書が書いて数年、池田勇人が「所得倍増計画」をブチ上げ、高度経済成長に浮かれている真っ只中のことである。
最初に遭難した宇宙船は、特攻隊よろしく「万歳!」と合唱しながら玉砕した。“特攻隊よろしく”じゃない。あれは正に特攻隊だ。あの一隻目は、あの大戦の象徴なのだ。 そして二隻目。先の悲壮感から一転、歌なんか歌って能天気な若者達。現代の象徴。 「先人達の死を無駄にするな!」なんて台詞も想いもどこにも出てこない。むしろ「英雄視するのはいかがなものか」なんて台詞が(政治家の発言としてだが)出てくる始末。明らかにこの若者達は「戦争を知らない子供達」として描かれている。
ではこの若者達を本多猪四郎が温かい目で見つめているかと言えば、私は決してそうは思わない。 彼らが困難に打ち勝って人知れず事態を解決しそれでも鼻唄まじりに帰ってきたら「男前やなあ」ってことにもなるが、そうではない。奴らはクソの役にも立っていない。それどころか記憶喪失なんかになりやがる。この記憶喪失のエピソードはストーリー上全く意味がない。もし意味があるとすれば、それは本多猪四郎が下した制裁か天罰でしかない。これだけ平和的な描写に満ちあふれていながら、これから調査に赴こうとする若者達に、天本英世をもって温かい言葉どころか非難の声を浴びせるのだ。
これは本多猪四郎による現代批判の映画なのだ。
うるさいくらい説教じみた「国際平和」もまたしかり。 1961年にベルリンの壁が作られ東西冷戦真っ只中。この映画の同年にはキューバ危機が起こり、約2年後にやっと部分的核実験禁止条約が批准される。 国際的な「一触即発」の危機的状況に浴びせた痛烈な批判。戦争の恐ろしさを忘れた能天気な日本に浴びせた痛烈な批判。それがこの映画だ。
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