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[コメント] アメリカン・ビューティー(1999/米)

通り道をジョギングしながらこんなことを考えた。痴を働けば角が立つ、常に棹擦っては流される、見栄を張れば窮屈だ、とかくこの世は住みにくい。住みにくい世を住みやすくするために「美」は必要なのだ…。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







それなりに利己的な生き方を犠牲にして、仕事をし、家を持ち、子供を育て、家庭も社会的地位も築いてきた。一般的に言って「幸せを手に入れた」ということになった。が、それは他人から評価される幸せであっても、自分にとって幸せとは限らない、ということに気付いてしまうことが中年男子には往々にしておこる。一度それに気付くと、自分の幸せを追求しているつもりで実は人目ばかりを気にした成功に執着している者たちの行為をバカバカしく感じ、つい「正してやりたい」とか考える。

そんなことをしているうちにだんだん家族や社会から孤立していく。孤立しながら、なおもその生活を続けていくうちに、いつのまにか自分というものが何なのかわからなくなってくるのだ。そういう時期に、自分を劇的に変えてくれそうな期待を感じるものが出現すると、それがきっかけとなって、突如今までのスタイルを脱ぎ捨てたくなるのだ。その解放感はいかばかりのものか、の描写こそはケビンの最大の見せ場だろう。

一辺でも利他的に生きようとした人間が、自己を回復しようとする行為だ。きっかけとなるものが、例えアンモラルなものであっても、そのこと自体は否定できない。…というのが「個人主義」というもののふつうの考え方ではないか? この作品は、もう少しだけその先を突きつめて、それに異を唱えているように思う。

物語をごく単純に言ってみると、

事業家として成功したい、みなからの憧れの存在であり続けたい、そこまでとはいわないがもう少し肉感的にはなりたい…という主に「他者を意識した幸せの追求」を女性陣に、他者から超越した存在になりたい、隠している性癖を満たしたい…という、逆に「内面に忠実たろうとする幸せの追求」を男性陣に割り当て、主人公の中年おやじを前者から後者へ移行するものとして置いてみる。

前者と後者は違っているようでいて、実は「ラブ・ミー」と叫んでいることに変わりはないのではないだろうか? 中年おやじは最後の最後に何を幸せと感じたのか? それは楽しそうな一枚の家族の写真に象徴される「幸せを作ってきた実感」だったのではないだろうか。

いきなりのオナニーシーンであっけにとらせておいて、実は「ラブ・ミー」じゃなくて「アイ・ラブ」でしょう、っていう至極まっとうなことを言っているというような、何とも人を食った作品というのが、本作なんではないでしょうか。

余談ですが、娘や妻とのつながりを求めることを願って、それがかなえられなかったというのが主人公の浮気へ走るきっかけだなんて切ない話じゃないですか。実際は満ち足りた生活をしていながら援交だなんだって話ですよね。 

(評価:★4)

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