[コメント] この子の七つのお祝いに(1982/日)
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岸田今日子の芦田伸介への怨念は狂気の妄想で、娘の岩下志麻はこれを吹き込まれただけ、というオチ。ビル王に出世した芦田(かつて『赤い天使』の医者)とともに、狂女ふたりを憐れむ収束に至る。
このドンデンガエシは、下層の者が正しく金持ちは悪い、という定型の物語が一方的に感じられ始めたからこその異議申し立てだっただろう。金持ち征伐の物語はパターン化して飽き飽きしたからその裏を取った、という物語作法でもあっただろう。
振り返れば、白坂らと組んて展開したこの方法論はマスムラ固有のものでオーシマへの対抗形、イタリアから持ち帰ったのかどうかよく知らんが、本邦50年代庶民映画の方法を覆したものだった。それは興味深いときもあれば退屈なときもあった。そして最後は、その発想の骸骨だけがぶら下がった本作が残ったように見える。マスムラは高度成長期の作家だった。
映画は81年スタートの火曜サスペンス劇場を想わせるが、当時映画のスタップは大挙してあそこで生き残ったのだから余り冷やかす気にはならない。ただ、一点豪華主義の俳優が犯人とすぐ判るという火サス定跡が本作の岩下志麻にもズッポシはまっており、推理ものの興味は岩下と辺見マリとの関係に絞られるが大した面白味もない。
ホラーとしても岸田の指ではじかれ続けて穴の開いた芦田の写真と、岩下の辺見殺害における「お母さん」の棒読み科白で情念が極まっているが、断片にとどまった。ベストショットは杉浦直樹が殺される直前、岩下のマンションのベッドで岩下幼少時の夢を見る件。
畑中葉子は死体でバストを晒すためにだけの登場で気の毒。手相の薀蓄は面白く、これメインにしたら面白いだろう。人の手相は年齢とともに変わるはずだが、昔と今の手相を比べて同一人物と判断する本作の推理は本当だろうか。
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