[コメント] アギーレ 神の怒り(1972/独)
今回、吉祥寺で開催中のヘルツォーク(&ゲルマン)回顧上映で劇場初体験。しかも最前列にて。
この殆ど台詞の無いドイツ映画は恐ろしい程多くのテーマやメッセージを内包している。とても「執念」の一語で要約出来る代物ではない。
ストーリは実に簡素。”アギーレが”、”進む”、これだけだ。
まずアギーレはスペイン王室に謀反を興し「エルドラド帝国」の建国を宣言、スペイン王の親族を初代皇帝に擁立し書記僧に詔を読み上げさせた。 このシーンは「国家」という概念が如何に無根拠で曖昧なものであるかを暴露すると同時に、無根拠であるが故に「血」を唯一絶対の拠り所(アギーレと娘の関係も重要)とせねばいられぬという、ヒトが持つ憐れな動物的習性、現代に於いても依然として威力を奮い続ける強固な鎖の実在を、仄めかしている(*)。
次に書記僧の人物設定が面白い。神に使える彼がパーティの中で一番の現実主義者であるという皮肉。「強いものには逆らえぬ」との信念の元上官に死刑宣告したり、馬を川に押し入れた後「軍事的にも役立ったし、一週間分の食糧にもなった」などと云っている。筏に向けて矢を放つ原住民に恐れ慄き率先して射撃する修道士の姿には人間の本質が垣間見える。
「血」ついてもう一つ云えば、スペイン人を扱っている本作は、純然たるドイツ映画である。ゲルマン映画である。であるからして、ヒトラーの恐怖政治に盲従し自滅していった自国に対する皮肉は少なからず含まれているわけだ。ならば日本人とイタリア人は本国人に次いで本作を満喫出来るのではないだろうか。
「河」や「アギーレ」を難解な哲学用語に託しての拡大解釈は幾らでも出来ましょうがそれは僕には不可能だし趣味で無いのでここまで。あとは映像の話。
オープニングの降りていくカメラ、ラストシーンの廻るカメラ、両者が捉えた驚愕の映像美。そして随所にある手振れカメラの群像シーンのリアリティ。幻想的な木の上の帆船とカヌー。
全く落ち度の無い映画。完璧。溺れた。以上。
さぁ、風呂に入って泥を洗い流してこよ。
*・・・当時の日本にもこの「血縁国家」からの脱出を繰り返し叫んだ天才がおりました。そう、あの人ですよ、あの人。
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