[コメント] 氾濫(1959/日)
不器用な欲望をもてあます真田(佐分利)と幸子(左)の関係や、突出しているようで、実はどこにでもいそうなご都合主義的欲望の漂流者、種村(川崎)と久我(中村)の言動に、いやらしさや嫌悪をいだきながらも滑稽さの混じった親近感を感じる。
さらには、純情の仮面をかぶって恋愛を道具として振り回す京子(叶順子)やたか子(若尾文子)の打算。お決りのちんけな結末しか生まない文子(沢村貞子)とピアノ教師(船越英二)の痴情。化学会社社長(潮万太郎)や華道家(伊藤雄之助)の物欲拝金主義は、今となっては社会通念として我々の間では特定の価値を得てさえいるではないか。
何のことはない、今でも我が身のまわりにあふれかえっていることばかり。そんなエゴイズムと欲望の真髄が、あまりにもストレートに描かれるのでかえってすがすがしくさえある。
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