[コメント] 全身小説家(1994/日)
体当たりのドキュメンタリー一本槍の原一男が成熟して「虚構と現実の狭間」「ドキュメンタリーとフィクションの間」にベクトルを向けた作品であるが、一方で井上光晴の死期が近づいてさえいなければもっと強烈に井上光晴に迫りたかったのだ
原一男自身、この映画を撮った直後、劇映画を撮りたいと語った。
自身のその体当たりの生き様そのままであるようにドキュメンタリー一本槍の原一男はここにきて成熟して「虚構と現実の狭間」「ドキュメンタリーとフィクションの間」にベクトルを向いたのである。
しかし、一方で原一男は語った、井上光晴の死期が近づいてさえいなければもっと強烈に井上光晴に迫りたかったのだと。これまでの彼の手法を死ぬ間際の人間に向けることは原一男にすらできなかった。もしそれを原一男が恐れなければ恐ろしい映画ができあがっていたのかもしれない。
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