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[コメント] フランケンシュタインの花嫁(1935/米)

前作『フランケンシュタイン』と合わせて観ると、良い部分が相互補完し合って見事な作品となってます。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ボリス=カーロフによるモンスター描写によって好評を博した『フランケンシュタイン』(1931)の続編。本レビューはそこから続く。

 最後に殺されてしまったはずのモンスターが生き残っていた!というのはホラーでは常套手段の一つであり、お陰でシリーズ化されたホラー作品の何と多い事よ。

 映画というのはそもそも一本の時間内でスタッフの力の全てを出し切るため、終わり方はそれなりに感動的なものになる。ところが、そのドラマが良くなれば良くなるほど、それで完結にはしてもらえないと言う風潮がある…まさしくジレンマ。

 それで出来た作品というと、概ねにおいて最初の作品に便乗して作られているものばかりだから、大概録でもないものに仕上がってしまう。前作で出来たファンは必ず観るから、シナリオが駄目でも収益は見込めるだろうが、一度完結した物語を再度作り直すので、大体は一作目とストーリーは変えず、ちょっと視覚的に派手にする程度で終わることが多い。復活劇も概ね苦しい言い訳が考えられる。例えば偶然抜け道があって生き残ったとか(このパターンが一番多い)とか、凄いのになると双子を出すとか子供が成長して(『男たちの挽歌』(1987))、あるいは誤診だった(沖田艦長とか)とか…などというパターンがある。これがホラーになると理由も何もなく、ただ復活すると言う放棄パターンも多い(『ハロウィン』(1978)とか『エルム街の悪夢』(1984)なんかはその典型)。

 それで本作なのだが、ここにも冒頭、前作で風車小屋が炎に包まれ、焼け死んだはずの怪物が、実は“偶然”そこにあった地下水路にはまりこんで生き残っていた。と言う、とてつもなく苦しい言い訳を用意して始められた

 大概このパターンはクズになる。わざわざ冒頭で原作者メアリ=シェリーに扮するランチェスターを出させて、いかにももったいぶった事を言わせているのも興ざめ。

 …だと思った。

 しかしながら、そのパターンが当てはまらないのも、やはり存在した。

 いや、はっきり言おう。これは傑作だ。なんで奇跡的にこんな物語を作ることが出来たのか、そこに驚かされた。

 前作『フランケンシュタイン』のコメントで、原作を改竄したこと、そしてモンスターの哀しみを無視したと言うことを私は書いたけど、続編の本作は、やはり原作から相当離れているにせよ、殊“モンスターの哀しみ”を描くと言う点においては、これほど優れた作品は無いと思えるほどに上手くできていた。

 目の見えない老人とモンスターの交流は、見ていて本当に痛々しい(原作にも同じ部分があるのだが、これまたコッポラ版『フランケンシュタイン』(1994)では描写に失敗している)。あんなに嬉しそうな表情を見せるあの老人の姿は、喜べば喜ぶほど涙をそそられる。あれは本当に上手かった(あまりにも出来が良すぎたため、この部分はこの映画の中でも最高に印象に残り、様々な映画でパクられてる。『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(1986)でも、当然『ヤング・フランケンシュタイン』(1974)でも…)。

 そして最後に登場する“花嫁”(ランチェスター2役)。この存在感が凄まじい。目をつり上げ、歯をむき出しにして、声なき声で叫ぶあの姿!これこそ元祖SQ(スクリーミング・クイーン)であり、彼女を超える叫び声の名手は出てこないだろうと思えるほどのインパクトだった(私的には『フリークス』(1932)が元祖かも)。

 何より忘れてはならないのが、そのエピソードの一つ一つが、きちんとモンスターの存在の哀しみ、と言う方向を向いていたと言うこと。社会に受け入れられることはない。望まれず、そして望まずに生まれてしまい、死をも許されない存在。カーロフは前作を越える演技を見せてくれた。

 『フランケンシュタイン』と本作『フランケンシュタインの花嫁』は別々の映画ではなく、一つの映画として考えたい。二つあわせるならば、ホラー映画の最高傑作の一本と断言しても良い。

(評価:★5)

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