[コメント] エリン・ブロコビッチ(2000/米)
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私が一番頭の上がらないタイプだ。「他人の痛みを、自分の痛みとして感じる事が出来、他人の喜びを、自分の喜びとして感じる事が出来る人」。俺的エゴの塊の権化の自分は、足を向けて寝られません。
こういう人に限って、みなさん言うのだ。「私がこうする事になったのは、最初から目指していたわけじゃないの、何だか成り行きだったのよ〜」と。犠牲的精神でも、おきれいな正義感にかられているわけでもない。それなのに、なぜそんなに動けるのか?赤の他人のために??と言うくらいよく動く。本人にもその理由はよく分かっていない(笑)。「三年ぐーたらしていろと言われても、喜んで出来るわ〜」などと、言っている事とやっている事が違うぞ!(笑)でも別に嘘をついているわけではない。
私は何かに特に信心がある人間ではないけれど、彼らも何かに「使わされた人」なのではないかと感じる。
お金が取れるだけだったら、別にあのカカシ女さんが、被害者達の所に来ても事態は同じで、構わないのだ。でも、あの住民たちが求めていたのは、カカシさんではなかった。特にあの少女と、「思い出したくない」と最後まで言っていた女性と、手術を受けた女性の三人が、のちのちエリンを見つめる瞳の中の光は、演技だという事を忘れさせた。
彼女たちが求めていたのはただ、自分のこの苦しみをわかってくれる人。そんなシンプルな存在が、たった一人しかいなかったのだ。
同じく企業告発ものでも、己の矜持をかけていた『インサイダー』とは、対称的なスタンスだと思う。一番好きなシーンは、会社側の人間が、例の井戸水が入ったコップを手にするが、口をつけられない所。それから、長男が書類を見つめて、「僕と同い年の子だ、この子のお母さんは?」「お母さんも病気なの」と言う所。自分と他人をシンクロさせる「想像力」の翼を羽ばたかせる事は、難しい事だが、子供にでも出来るのだ。そしてその事で、世界中の人間が、自分の隣人になる。味気ないと思っていた毎日の「現実」が、微笑みかけてくれるのだ。(うーんやっぱり宗教的な言い方だなあ。特に信心はないのに(笑))
それからあらためて、「家族」と言うのは、ハイリスク、ハイリターンな存在なのだなあ、と思いました。本当にいいもんです。9ヶ月ベスの後ろ頭、超〜かわいい。神妙な顔をして、書類を読んでいるような風情にメロメロ。エリンにつかわされた天使たちですね。
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